将棋界、歴代全冠独占達成者

どうもstsです。

本日のテーマは「将棋」です。

本日、第71期王座戦第4局が行われ、藤井聡太竜王名人が永瀬拓矢王座に勝利。シリーズ3勝1敗となり、王座を奪取。史上初となる八冠独占を果たしました。将棋界では史上4人目となる全冠独占達成者となりました。

ということで今回は将棋界における歴代の全冠独占を果たした棋士をまとめてみました。

それではさっそくどうぞ!

 

【二大タイトル時代】(1950年度)

タイトル:名人・九段

達成者:(なし)

二大タイトル時代の達成者はなし。というよりも制度上不可能でした。

名人戦しかなかったタイトル戦に新たなタイトル戦として九段戦が追加されます。しかし九段戦には名人が参加できないというルールがありました。九段戦を制した棋士は、当時の名人と日本一を決める全日本選手権を行いました。また九段戦はタイトルとしてカウントされますが、全日本選手権はタイトルとしてカウントされない複雑なルールでした。そのため全冠制覇の達成者は三冠時代から数えることが多いです。

そのため名人が九段を獲るのは制度上不可能であり、二大タイトル時代の達成者いません。

 

【三大タイトル時代】(1951年度~1959年度)

タイトル:名人・九段・王将

達成者:升田幸三大山康晴

九段戦が創設された翌年、一般棋戦だった王将戦がタイトル戦に昇格。その後九段戦は第7期より名人も参加。これで全冠制覇が初めて制度上可能となります。

史上初の全冠独占達成者は、「新手一生」を掲げファンを魅了した升田幸三実力制第四代名人。王将を保持していた升田先生は、名人が参加できるようになった最初の九段戦で九段も獲得、そのまま春の名人戦でも奪取。史上初の全冠独占を成し遂げました。

二人目の三冠独占達成者は、升田先生の弟弟子、「不死鳥」大山康晴十五世名人でした。升田先生が三冠独占を達成した同年度、王将を奪い、三冠独占を崩すと、升田先生から続々とタイトルを奪い返し、ついには二人目の全冠達成者となりました。

 

【四大タイトル】(1960年~1961年)

タイトル:名人・九段→十段王位・王将

達成者:大山康晴

大山先生が三冠独占を果たした翌年度、準タイトル戦だった「早指し王位戦」がタイトル戦に昇格。新たに4番目のタイトルとして王位が加わりました。

初代王位を懸けて争うことになったのは、大山康晴名人(当時)と塚田正夫九段。結果は大山先生が4勝1敗1千日手でタイトル獲得。初代王位の座に就くとともに、三冠独占のまま四冠独占を継続する形となりました。

大山先生は初代王位の座に就くと、その後も王位戦においても圧倒的な強さを誇り、以後驚異の12連覇。大山先生の記録では名人13連覇に次ぐ連覇記録となるタイトルが王位でした。

 

【五大タイトル時代】(1962年度~1974年度)

タイトル:名人・十段・棋聖・王位・王将

達成者:大山康晴

大山先生の全冠独占がまだまだ続く中、棋聖戦が誕生。タイトル戦史上初となる1日制で五番勝負のタイトル戦。スピード感のある新たなタイトル戦でした。

初代棋聖を懸けて争ったのは、当時実力トップ3の大山康晴名人、塚田正夫九段、升田幸三九段。三つ巴の戦いで成績上位だった大山先生と塚田先生で五番勝負を行います。結果はまたしても大山先生が勝利。またしても全冠独占を継続する形となりました。

以上のように大山先生は自身初の三冠独占を果たした後、それを継続したまま四冠独占、五冠独占と立て続けに達成しました。大山先生は歴代最強の棋士といて挙げられることが多いですが、その理由がわかる記録です。

 

【六大タイトル時代】(1975年度~1982年度)

タイトル:名人・十段・棋聖・王位・棋王・王将

達成者:(なし)

前年は一般棋戦として行われていた棋王戦がタイトル戦に昇格。これに六大タイトル時代へと突入します。

この六大タイトル時代、全冠制覇を成し遂げた棋士は0。最も近づいたのは中原誠十六世名人でした。中原先生は四冠だった時に、大山先生から棋聖を奪取。五冠となり、この年度末、全冠独占を懸けて加藤一二三棋王に挑戦。しかし結果は敗戦となりました。

中原先生は五大タイトル時代にも四冠まで到達したものの、その最後の一つのタイトルの挑戦権を獲得できませんでした。中原先生は後年、「全冠に挑んだことがありますが、スケジュールや体力的に非常に大変なもの」とその難しさを語っています。

 

【七大タイトル時代】(1983年度~2017年度)

タイトル:名人・十段→竜王棋聖・王位・王座棋王・王将

達成者:羽生善治

長らく準タイトル戦として行われていた王座戦がタイトル戦に昇格。さらにその後十段戦竜王戦に発展的解消され、竜王・名人の二大タイトル時代が始まりました。

この七大タイトル時代唯一の達成者は羽生善治九段。1995年度、六冠まで到達し、夢の七冠独占を懸けて谷川浩司王将に挑むもフルセットの末、惜しくも敗退。夢の全冠独占は再び幻に終わったかと思いました。

しかし翌年度からのタイトルを全て防衛、さらには再び王将戦の挑戦者となり、七冠独占を懸けて再び対決。この年はストレートで奪取となり、史上初の七冠王達成は、将棋界の枠を超え話題を呼び、「羽生フィーバー」を巻き起こしました。

 

【八大タイトル時代】(2018年度~現在)

タイトル:竜王・名人・王位・叡王・王座・棋王・王将・棋聖

達成者:藤井聡太

元々は人間とコンピュータと戦う「電王戦」の人間側の代表を決める非公式棋戦だった叡王戦。電王戦終了に伴い、叡王戦も終了かと思いきや、タイトル戦に昇格する形で継続。八大タイトルとなりました。

八大タイトルの全冠達成者は藤井聡太竜王名人。研究仲間でもある永瀬王座を破り、史上初、夢の八冠独占を果たしました。

藤井竜王名人は史上最年少プロ棋士としてデビュー。令和に入ってからは史上最年少で初タイトル棋聖を獲得。以降出場したタイトル戦では全て勝利を収め、全冠独占を成し遂げました。全冠独占、タイトル戦連勝記録はどこまで続くのでしょうか。

 

 

以上のようになっています。

表にしてまとめると以下の通りです。

タイトル数

達成者

二大タイトル時代

(制度上不可能)

三大タイトル時代

升田幸三大山康晴

四大タイトル時代

大山康晴

五大タイトル時代

大山康晴

六大タイトル時代

(達成者なし)

七大タイトル時代

羽生善治

八大タイトル時代

藤井聡太

事実上の全冠独占が可能となった1956年度から現在まで、65年以上経ちますが、全冠独占を果たした棋士は、今回の藤井聡太先生を含めわずか4名しかいません。それだけ全冠独占は難しく、どれだけの偉業かというのがわかります。

中でも際立つのが大山先生の凄さ、三冠独占→四冠独占→五冠独占とタイトルを失うことなく、継続して全冠独占。史上最強の棋士として常に名前が挙がる大山先生ですが、その理由が理解できますね。

全冠制覇を成し遂げるためには、奪取することはもちろん、防衛することも必要不可欠となり、突出したものがなければ成し遂げれるものではありまし、ハードスケジュールをこなす体力も必要となってきます。そんな中達成した藤井聡太先生は

これから藤井聡太先生の八冠独占はどこまで続くのか、全冠独占の牙城を崩すのは誰になるのか。これからの将棋界にも注目です。

ではまた!

阪神タイガース、オールスターゲームにおける歴代選出人数

どうもstsです。

本日のテーマは「阪神タイガース」です。

先日、オールスターゲームにおけるファンの結果が発表され、阪神からは10人(!)選出されるという歴代最多記録を打ち立てました。

ということで今回は阪神タイガース歴代のファン投票選出人数をまとめてみました。

それではさっそくどうぞ!

 

※→で人数の増減があるのは、ケガ等による欠場やそれに伴う補充によるもの

※ファン投票選出人数が特に多かった年は赤字で示してあり、選出選手の詳細も書いてあります。  

ファン投票選出人数

総選出数

1951年

1名

4名

1952年

1名

4名

1953年

0名

5名

1954年

2名

6名

1955年

7名

8名

1956年

2名

5名→4名

1957年

3名

4名

1958年

2名

6名

1959年

1名

6名→5名

1960年

1名

6名

1961年

1名

2名

1962年

2名

4名

1963年

0名

5名

1964年

3名

5名

1965年

2名

7名

1966年

3名

6名

1967年

1名

6名

1968年

0名

3名

1969年

3名

5名

1970年

2名

6名

1971年

1名

3名

1972年

2名

6名

1973年

1名

5名

1974年

1名

5名

1975年

1名

5名

1976年

2名

5名

1977年

1名

5名

1978年

1名

3名

1979年

3名

5名

1980年

6名

7名

1981年

3名

6名

1982年

1名

7名

1983年

0名

3名

1984

0名

3名

1985年

5名

6名

1986年

3名

6名

1987年

0名

3名

1988年

0名

4名

1989年

0名

2名

1990年

1名

3名→3名

1991年

1名

1名

1992年

5名

7名

1993年

4名

4名

1994年

6名

6名→5名

1995年

0名

5名

1996年

0名

3名

1997年

3名

5名→5名

1998年

0名

2名

1999年

2名

4名

2000年

0名

3名→4名

2001年

0名

2名

2002年

5名

7名

2003年

8名→9名

10名

2004年

3名

5名

2005年

6名

8名

2006年

6名

7名→8名

2007年

1名

2名

2008年

4名

6名

2009年

0名

2名

2010年

2名

6名

2011年

1名

4名

2012年

3名

4名→5名

2013年

2名

7名

2014年

1名

3名

2015年

1名

3名

2016年

1名

4名

2017年

4名

5名

2018年

0名

4名

2019年

1名

5名

2020年

新型コロナで開催中止

新型コロナで開催中止

2021年

7名

8名

2022年

4名

8名

2023年

10名

 

 

選出選手詳細

※赤字はファン投票による選出、黒字は監督推薦によるもの

【1955年】

西村一【投手】

徳綱茂【捕手】

白坂長栄二塁手

吉田義男【遊撃手】

藤村富美男内野手

渡辺博之【外野手】

金田正泰【外野手】

田宮謙次郎【外野手】

 

【2003年】

井川慶【先発投手】※

伊良部秀輝【投手】

矢野輝弘【捕手】

桧山進次郎一塁手

今岡誠二塁手

片岡篤史三塁手

藤本敦士【遊撃手】

金本知憲【外野手】

赤星憲広【外野手】

浜中おさむ【外野手】

※実際のファン投票1位は川崎憲次郎だったが、このシーズンは一軍に出場しておらず、ネット上の大量組織票によるもの。実際に川崎は出場を辞退し、ファン投票2位だった井川が繰り上げ1位になった。

 

2021年

岩崎優【中継ぎ投手】

ロベルト・スアレス【抑え投手】

・青柳晃洋【投手】

梅野隆太郎【捕手】

ジェフリー・マルテ一塁手

中野拓夢【遊撃手】

佐藤輝明【外野手】

近本光司【外野手】

 

【2023年】

村上頌樹【先発投手】

岩崎優【中継ぎ投手】

湯浅京己【抑え投手】

梅野隆太郎【捕手】

大山悠輔一塁手

中野拓夢二塁手

佐藤輝明三塁手

木浪聖也【遊撃手】

近本光司【外野手】

シェルドン・ノイジー【外野手】

+監督推薦

 

以上のようになっています。

現役の選手から懐かしの選手まで様々な選手が選ばれてきていますね。

しかし今回の阪神の10人という記録は異常というか、当面は破られないような気がします。現状のルールでファン投票選出人数記録を抜くには全てのポジションで1位を取る必要があるため、かなり難易度が高そうです。

歴代最多選出人数となった今年の阪神、どのようなオールスターゲームとなるのでしょうか。非常に楽しみです!

ではまた!

将棋界、タイトル連続保持記録

どうもstsです。

先日、第81期名人戦が行われ、藤井聡太竜王渡辺明名人に勝利。史上最年少での名人獲得は将棋界の枠を超え話題となりました。

これで藤井竜王は七冠に到達。史上初の八冠独占へあと一つと迫りました。一方渡辺先生は実に18年ぶりとなる無冠となりました。しかし逆をいえば18年間常に何かしらのタイトルを保持していたということになります。これも凄い記録です。

ということで今回は将棋界のタイトル連続保持記録をまとめてみました。同一タイトル連続保持ではなく、常に一冠以上保持していた期間ということです。

それではさっそくどうぞ!

 

 

1位羽生善治九段 27年9ヶ月

期間:1991年3月18日~2018年12月21日

第1位は「将棋界のスーパースター」羽生善治九段です。19歳で初タイトル竜王を獲得するも翌年失冠。無冠となりますが、半年後の棋王戦でタイトルを奪取し、そこから平成の終わりまで約27年間(!)何かしらのタイトルを保持していました。

七冠独占、永世七冠、タイトル通算獲得数歴代1位・・・数々の栄光がこの27年間の中には詰まっています。

 

2位渡辺明九段 18年5ヶ月 

期間:2004年12月28日~2023年6月1日

2位は「魔王」の異名で知られる渡辺明九段。渡辺先生は20歳の時に初タイトル竜王を獲得。そこから竜王は9連覇を達成し、初代永世竜王に。竜王失冠後も常に何かしらのタイトルは保持し続け、トップ棋士として君臨しています。

渡辺先生は羽生先生に次ぐ歴代2位となっていますが、初タイトル獲得からの連続タイトル保持記録では歴代1位となっています。

 

3位大山康晴十五世名人 14年10ヶ月

期間:1958年3月29日~1973年2月20日

3位は「不死鳥」大山康晴十五世名人です。この記録は升田幸三先生の三冠独占を崩して始まった連続保持記録。この期間で五冠独占、50期連続タイトル戦登場といった不滅の記録を打ち立てました。

大山先生は1973年からは久々に無冠となった際、その実績から他の棋士と同列の九段では呼べないということで特例で永世王将を名乗りました。

 

4位中原誠十六世名人 11年9ヶ月

1970年12月11日~1982年9月21日

4位は「棋界の太陽」と呼ばれた大名人、中原誠十六世名人です。中原先生は20歳で初タイトル棋聖を獲得その後、棋聖を奪われ無冠となりますが同年、十段を奪取。そこから長らくタイトルを保持しました。

中原先生も後に無冠となった際、その実績から他の棋士と同じ九段では呼べないということで、特例で現役のまま永世十段を名乗りました。

 

5位木村義雄十四世名人 9年6ヶ月

1937年12月6日~1947年6月6日

5位は「常勝将軍」木村義雄十四世名人です。木村先生は第1期名人戦で初代名人の座に就くと5連覇。当時は名人挑戦者を決める戦いは2年間行われていたため、10年間名人の座に就き、その強さは相撲の双葉山と並び最強の象徴として君臨しました。

木村先生は第6期名人戦でついに失冠。10年ぶりに無冠となりますが、前名人の称号が与えれ、引き続き棋界を代表する棋士として活躍しました。

 

6位谷川浩司十七世名人 8年5ヶ月

期間:1987年8月28日~1996年2月14日

6位は「光速の寄せ」でお馴染み谷川浩司十七世名人です。谷川先生は1987年に同世代の高橋先生から王位を奪うと、この期間で様々なタイトルを獲得。一時期は四冠を保持したものの羽生先生に七冠独占を許し、無冠となりました。

この期間の対戦相手を見ると、中原先生や米長先生、同世代の55年組、そして羽生世代。幅広い棋士との激闘が繰り広げられていたのがわかります。

 

7位大山康晴十五世名人 7年0か月

1950年7月7日~1957年7月11日

7位は再びランクイン、「将棋界の巨人」大山康晴十五世名人です。こちらは初タイトル獲得からの連続保持記録。大山先生はこの期間で名人を5連覇。木村先生以来、二人目の永世名人資格者となりました。

大山先生は保持していたタイトルを升田先生に奪われる形で無冠に。しかしそこから巻き返し、上記の歴代3位の記録に繋がります。

 

8位佐藤康光九段 6年4ヶ月

期間:2002年3月12日~2008年7月18日

第7位は、先日日本将棋連盟会長を勇退した佐藤康光九段。2002年に同世代のライバル、羽生先生から王将を奪取すると、同年棋聖も郷田先生から奪取。そこから棋聖のタイトルは6連覇。永世棋聖の資格はこの期間で得ました。

佐藤先生は深い読みの緻密流でお馴染み。また近年は向かい飛車をメインに独特な序盤戦術でファンを魅了し続けています。

 

9位米長邦雄永世棋聖 5年9ヶ月

期間:1981年3月12日~1986年12月18日

8位は「泥沼流」の棋風で知られた米長邦雄永世棋聖です。米長先生は1981年の棋王戦で中原先生から棋王を奪うと、その後様々なタイトルを獲得し、この期間中に四冠王にまで上り詰めました。

米長先生といえば、永世棋聖の称号でお馴染みですが、永世棋聖の資格もこのタイトル保持期間中に獲得したものでした。

 

10位中原誠十六世名人 5年5ヶ月

1982年12月21日~1988年6月14日

10位はこちらも再びのランクイン。「自然流」の棋風で知られる中原誠十六世名人です。中原先生は上記の4位の記録で無冠になった約3ヶ月後、十段を獲得して再びタイトルホルダーに返り咲きました。

この期間では、上の世代である大山先生やほぼ同世代の米長先生や加藤先生、下の世代の55年組など幅広く戦っています。

 

 

以上のようになっています。

渡辺先生は歴代2位の記録でした。上記でも記しましたが、初タイトル獲得からのタイトル連続保持記録は、ぶっち切っての歴代1位です。

それにしても羽生善治先生、渡辺明先生、大山康晴先生、中原誠先生、木村義雄先生、谷川浩司先生、佐藤康光先生、米長邦雄先生と、将棋界を代表する名棋士がズラリとランクインしていますね。

中でも羽生先生の27年は圧巻。羽生先生=タイトルホルダーという期間が長らく続いたため、感覚が麻痺してしまいますが、27年間無冠にならなかったというのは今冷静に考えると恐ろしいですよね。

ランキング時代は5位ですが、木村先生の記録も凄い記録。当時はタイトルが名人しかない時代であり、その一つしかない最強の座に10年間在位し続けたというのは当時の強さを示しています。まさに「常勝将軍」です。

また昔は長らくタイトルを保持した棋士に対しては、今さら他の棋士と同じ段位で呼ばないということで、何かしらの称号で呼ぶことがありました。

木村義雄十四世名人→無冠になった際、「前名人」を名乗る

大山康晴十五世名人→無冠の時に「永世王将」を特例で名乗る

中原誠十六世名人→無冠の時に「永世十段」を特例で名乗る

しかし近年は長らくタイトルを保持しても、特別扱いはせず、羽生先生や渡辺先生のように段位で呼ぶことが通例となっています。

現在タイトルを保持している藤井聡太竜王名人(2020年7月16日~)、永瀬拓矢王座(2019年5月11日~)はこの歴代トップ10入るところまで記録を伸ばすのでしょうか。注目です。

ではまた!

実力制名人という称号

どうもstsです。

本日のテーマは「将棋」です。

実力制名人第〇代名人という称号をご存知でしょうか。「あー名人を5期獲得したら名乗れるやつね」と思った方もおられるかもしれません。

しかし今回は名人を5期獲得したら名乗れる「〇〇世名人」という「永世名人」ではなく、「実力制第〇代名人」という「実力制名人」の称号です。

呼ばれている棋士が現在は升田幸三実力制第四代名人がほとんどなので、ご存知の方は升田先生のイメージが強いと思います。

升田先生と言えば「升田式石田流」「雀刺し」「升田定跡」など数多くの戦法や囲い、定跡を編み出し、将棋ファンを魅了。また当時あった3つのタイトルを全て手中に収め、史上初の全冠独占を果たした棋士として有名です。

圧倒的なカリスマ性で人気・実力ともにトップだった升田先生ですが、晩年は体調を崩し休場が目立つようになります。そして1979年に61歳の時に引退を決断しました。

 

升田先生は意外にも永世称号を保持していなかったため、引退後も肩書きは「升田九段」のままでした。かつては、九段の昇段条件がかなり厳しかったこともあり、九段の段位の肩書きはかなり権威のある称号で、九段の棋士が3人しかいないという状態が長らく続いたほどでした。

oknsts1018.hatenablog.com

しかし九段昇段の条件が次第に緩められていき、九段の棋士が多数出てくるようになり、大山康晴先生と競い共に一時代を築いた升田先生をこのまま九段で終わらせていいのかという声がかねてから挙がっていました。

 

そこで連盟は「名誉名人」の打診をします。名誉名人が贈られた棋士は二人。

・小菅剣之助→将棋連盟が分裂した際に、再び結びつけた立役者

・土居市太郎→実力制以前の時代に活躍。「十四世名人」確実だったものの、実力制への移行を許す。

どちらも将棋界で多大なる功績のある棋士です。

oknsts1018.hatenablog.com

 

しかし「名誉名人」を打診するため升田先生の元に向うと升田先生は激怒。「土居名誉名人は名人になれなかったのに、同じに扱うのか」と。土居先生は推挙制の名人が続いていれば十四世名人確実と言われていましたが、その後に実力制がスタート。最終的に名人は名乗れなかった棋士でした。しかしこのままで終われない将棋連盟。そこで生まれたのがこの実力制名人の称号でした。

 

この実力制名人の称号を名乗る条件は

①名人を3期獲得or名人2期でも順位戦で抜群の成績

②引退していること

③70歳を迎えていること

のこの3つです。升田先生は名人獲得数は2期でしたが、順位戦で抜群の成績(A級に連続31期在籍、A級1位の成績9回、A級での通算勝率歴代1位・・・)で引退しており、70歳を迎えていた升田先生は「実力制第四代名人」を名乗り、現在もその称号で呼ばれています。

そして翌年、同じく名人を2期獲得していた塚田正夫名誉十段も順位戦で抜群の成績(A級に通算28期在籍他)ということで、没後に「実力制第二代名人」が贈られました。塚田先生は「名誉十段」の称号が優先して呼ばれることがほとんどですが、名人戦主催社の毎日新聞で塚田先生の名前が出る際は、この「実力制第二代名人」で書かれることがほとんどです。

 

いわば升田先生のために作られ、その後に条件を満たしていた塚田先生にも贈られた称号がこの「実力制名人」の称号。もし5期以上獲得すれば、〇〇世名人の方を名乗るため永世称号の中間地点にあるような特殊な称号となっています。

では現役の棋士でこの条件を得ているのは

佐藤天彦九段→名人3期獲得

渡辺明名人→名人3期獲得

このお二人。名人2期を獲得しているのは

佐藤康光九段→名人2期獲得

丸山忠久九段→名人2期獲得

このお二人です。佐藤康光先生はA級に通算26期在籍、丸山忠久九段はA級在籍数は14期ですが、B級1組で史上初の12戦全勝を果たした棋士であり、名乗れる可能性は十分に秘めていると思います。

 

しかしここで一つ気になるのは、この実力制名人の称号に関するアナウンスがまったくないこと。佐藤天彦先生や渡辺明先生が3期目の名人を獲得した際、「引退後70歳で実力制第十〇代を名乗る権利を得た」という記述やアナウンスがまったくありません。微塵も出てきません。

実際升田先生が実力制第四代名人名乗ったのは昭和63年で、塚田先生は平成元年。つまり30年以上称号者が出ていません。

この称号は果たして残っているのでしょうか。謎につつまれてはいますが、佐藤天彦先生や渡辺明先生が引退後70歳の時にこの称号がどうなっているのか注目です。

ではまた!

笑う犬のゲームコーナー

どうもstsです。

今回取り上げるのは「笑う犬」です。

笑う犬シリーズといえば、1998年から2003年まで毎週日曜日にレギュラー放送されていたコント番組。ウッチャンナンチャンがメインキャストで、ネプチューンがレギュラー出演していました。

今回はその笑う犬シリーズでのゲーム企画をまとめてみました。

それではさっそくどうぞ!

 

①信号確認ゲーム

【ルール】

・出題される3つの色から連想されるものをリズムに乗って答えるゲーム。

・3つの内最初の2つは必ず同じ色。

(例)「赤・赤・青」→「リンゴ・リンゴ・海」

・前に言った言葉や前の人が言った色の答えは何度言ってもOK。

・ただし3つ同じ色が出題されると、違う3つのものを答えなければならない。

(例)「赤・赤・赤」→「リンゴ・イチゴ・トマト」

・3回間違えると罰ゲーム。 

・答える順番は、泰造→南原→名倉→(ゲスト)→内村→ホリケン→泰造・・・

【正式名称】

・きかんしゃ ナーマス

・ニコニコプンスカ ハムえもん

モンスターズ・インク

STAR WARS 

【補足】

・全シリーズ通して、全員が小さい着ぐるみのようなものを着て挑戦する。

・ナーマスは顔だけくり抜かれた列車の被り物で、顔以外は台で隠れている状態。ハムえもん以降は上半身でキャラクターの被り物を被り、下半身は台で隠れているような状態だった。

・元々は「機関車ナーマス」の名称でスタート。機関車ということで信号を確認できなければいけないということが由来。

・しかし回を重ねるごとに色は増えていき、黄色、ピンクといったメジャーなものから、金やシルバー、さらには小豆色やベージュ、ついにはアイボリー(象牙色)といった聞いたことのないような色の出題がされることもあった。

・成績は内村と泰造が圧倒的に悪く、罰ゲームを受けた回数もこの二人が異様に多かった(なぜか3色同じ色のお題を出される回数も多かったため)

・南原、ホリケン、名倉の成績は全シリーズ通して良かったが、名倉至っては無敗。名倉は3色同じ色のお題も頻繁に答え、圧倒的な強さを誇った。

・色から連想されるものの答えはある程度決まっており、子どもわかりやすいものの答えを出すことが多かった。

(例)赤→リンゴ、トマト 青→海 黄色→レモン、バナナ 緑→葉っぱ 黒→髪の毛

・ナーマスでのルール説明をする役は、本家森本レオのモノマネでダチョウ倶楽部の肥後克彦(インチキレオ)が務めていた。

・泰造が黄色のお題の時は必ずと言っていいほど、「バナナ」を答え、元気よく大声でバナナと叫ぶのが恒例だった。

・シリーズ終盤あたりでは、レギュラーメンバーが全員上達してきたこともあり、3色同じ色の難問のお題でも答えれるようになっており、ゲストが負けることも増えてきていた。

・罰ゲームはカラシの塗られた壁にぶつけられる。

【登場キャラクター】

①優香(進行役)

・ナーマス→トップリット

・ハムえもん→ユウちゃん

スターウォーズ→アミダラ

ベッキー(進行役)

・モンスターズインク→ブー

南原清隆

・ナーマス→ナーマス

・ハムえもん→ハムえもん

・モンスターズインク→サリー

スターウォーズ→チューバッカ

内村光良

・ナーマス→ウーチー

・ハムえもん→ハムどん

・モンスターズインク→ロズ

スターウォーズヨーダ

名倉潤

・ナーマス→ナック

・ハムえもん→ハム彦

・モンスターズインク→ランドール

スターウォーズ→ジャー・ジャー

堀内健

・ナーマス→ホリー

・ハムえもん→ニイハム

・モンスターズインク→セリア

スターウォーズC-3PO

原田泰造

・ナーマス→Tゾー

・ハムえもん→ハムゾー

・モンスターズインク→ウォーターヌース

スターウォーズ→ジャバ

 

②森っ子カブタン

・森の妖精たちが二人一組となり、仲の良さを見せつけるゲーム。

・ペアの片方がお題を出し、その後にもう片方がそのお題に合った擬音を答える。その後に二人同時にその擬音を答えて、次のペアへ移る。

(例)

A「くるま」

B「ブーブーブー♪」

AとB「ブーブーブー♪」

・3回ミスすると罰ゲーム。ペアで揃って罰を受ける。 

【補足】

・ペアの決め方は、上に吊るされたミノムシをそれぞれ選び、繋がっている相手とペアを組む。

・司会は名倉(じっちゃま)でおかしな回答があったりすると、ゲームを止める。これがセーフかアウトの判定はゲストの人が決めていた。

・途中からリズムルーレットのルールが追加され、間違えたペアは再開する前にルーレットのボタンを押して、再開時のテンポの速さを決める(通常、高速、超高速)。

・さらにリズムルーレットの項目に「タイマン」も追加され、直前でミスしたペアが対戦するペアを決め、2チームだけのタイマン勝負を行う。

笑う犬のオープニングコーナーとしてほぼ毎回放送され、当時放送されていた、こち亀ONEPIECEの放送後、ちびっこが見ても楽しめるゲームコーナーだった。

・コーナーのオープニングではカブタンのテーマソングを全員で歌い、全員のキャラクター名が紹介される。

・信号確認ゲーム同様、全員虫の着ぐるみを上半身被っており、下半身はセットで隠れている状態。しかし腕は自由に動かせるようになっており、キャラクターの色にあった手袋をしている。

・泰造は「お」のお題で「おにぎり」「おにぎり 鮭」「おにぎり 梅」など、ズルいお題の出し方もよくしており、よく止められていた。

・泰造(イモゾー)と遠藤(クミチョー)がかなり負けていた記憶。

・初期の頃はセットを組んでその中で行っていたが、後期の頃から合成仕様となり、背景が派手になった。

・罰ゲームは毎回バラバラだったが、後期は足ツボで固定化されていた。

【登場キャラクター】

名倉潤→じっちゃま(司会)

南原清隆→カブタン

原田泰造→イモゾー

・ビビる大木→でんでん

堀内健→フンスキー

中川礼二→カマやん

遠藤久美子→クミチョー

ベッキー→チクリン

中川剛→バッタモン

内村光良→アリゴロー

※遠藤とベッキーは隔週で交互に出演。

 

以上のようになっています。

当時は私自身、子どもだったので、コントの内容はあまり理解できず、このゲームコーナーとホリケンサイズの方が楽しみでした。

信号確認ゲームや森っ子カブタンは、小さい子ども簡単に楽しめるゲームなので、見ても遊んでも楽しいゲームです。

またいつか笑う犬が復活してゲームコーナーもまたやって欲しいです!

ではまた!

 

めちゃイケのゲームコーナーをまとめた記事はこちら。こちらも併せてご覧ください。

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将棋界、最年少名人記録とトップ10

どうもstsです。

本日のテーマは「将棋」です。

本日、名人戦第5局が行われ、藤井聡太竜王渡辺明名人に勝利。シリーズ4勝1敗となり、名人を奪取。史上最年少名人の記録を打ち立てるとともに、史上2人目となる七冠達成者となり、大きな話題を呼んでいます。

ということで、今回は名人の最年少記録とそのトップ10をまとめてみました。

さっそくどうぞ!

 

1位藤井聡太竜王名人 20歳10ヶ月

2位谷川浩司十七世名人 21歳2ヶ月

3位羽生善治九段 23歳8ヶ月

4位中原誠十六世名人 24歳9ヶ月

5位佐藤天彦九段 28歳4ヶ月

6位佐藤康光九段 28歳8ヶ月

7位豊島将之九段 29歳0ヶ月

8位大山康晴十五世名人 29歳4ヶ月

9位丸山忠久九段 29歳9ヶ月

10位森内俊之九段 31歳7ヶ月

10位木村義雄十四世名人 32歳9ヶ月

 

以上のようになっています。

藤井先生に破られるまでの歴代1位は谷川先生でした。1983年に生まれた記録で40年ぶり(!)の記録更新となりました。藤井竜王にとっては最年少記録を更新するチャンスは今期のみであり、来年名人奪取なら歴代2位となっていました。1度しかないチャンスをものにできる勝負強さも光ります。

そして歴代トップ10を見るとそうそうたる先生方が揃っています。

それでは詳しい解説もどうぞ!

 

1位藤井聡太竜王名人 20歳10ヶ月

1位は今回、最年少名人の記録を打ち立てた藤井聡太竜王名人。プロ入り当初から最年少記録を塗り替え続ける時代の寵児です。

藤井先生は、史上最年少棋士そして史上5人目の中学生棋士としてプロ入り。C級1組で1年足踏みした以外は毎年昇級。A級も1期目で挑戦権獲得となりました。

藤井先生はタイトルを6つ保持している状態で名人戦に登場。名人を3連覇中の渡辺明名人との対決となりました。史上最年少名人の記録がかかる大注目のシリーズでも臆することなく、4勝1敗で奪取。谷川浩司先生の記録を40年ぶりに更新する最年少名人、羽生善治先生以来となる二人目の七冠達成者となりました。七冠達成となり、夢の八冠独占まであとは王座1つのみとなりました。史上初となる夢の八冠独占に向けて、藤井先生の戦いはまだまだ続きます。

 

2位谷川浩司十七世名人 21歳2ヶ月

2位は「光速の寄せ」でファンを魅了しつづける谷川浩司十七世名人。昨年は最年少名人などの功績が認められ、十七世名人を特例で現役のまま襲位しました。

谷川先生は史上2人目の中学生棋士としてプロ入り。C級2組で1年足踏みした以外は毎年昇級を果たし、A級も1期目で挑戦権獲得。

谷川先生は勢いそのままに加藤先生から名人を奪取。当時の将棋界の「名人」といえば、大山先生や中原先生、加藤先生といった歴戦のレジェンド棋士というイメージが世間的にはありました。そんな中谷川先生は21歳で名人を獲得。「こんな若い人が名人なのか!」という衝撃を与えました。谷川先生の名人奪取は将棋界のイメージそのものを変えた出来事でした。また名人就位式での「名人を1年間預からさせていただきます。」という謙虚な発言はまたさらに大きな印象を与えました。

 

3位羽生善治九段【十九世名人・永世竜王永世王位名誉王座永世棋王永世王将・永世棋聖資格者】 23歳8ヶ月

3位は「将棋界のスーパースター」羽生善治九段。昨年度は前人未到の1500勝達成、藤井聡太王将との世紀の一戦は話題を呼びました。

羽生先生は史上3人目の中学生棋士としてプロ入り。順位戦でも順調に昇級を重ね、A級も1期目で挑戦権を獲得しました。

羽生先生は当時四冠。七冠独占に向けて歩を進めている時期でした。この前年米長邦雄先生が悲願である初の名人を獲得。その就位式で来年挑戦者としてやってくると予言していた通りの結果となりました。羽生先生はこの名人戦を4勝2敗で、見事奪取。五冠復帰となり夢の七冠へとまた一歩近づき、この年度末の王将戦で七冠独占に向けて戦うこととなりました。羽生先生はこれ以降名人戦の舞台には幾度となく登場。通算9期獲得しており、引退後に「十九世名人」を襲位予定です。

 

4位中原誠十六世名人【永世十段永世王位名誉王座・永世棋聖】 24歳9ヶ月

4位は「自然流」の棋風で知られた中原誠十六世名人。名人は9連覇を含む通算15期獲得。自身が最も多く獲得したタイトルでもありました。

中原先生は18歳でプロ入り。プロ入りからはノンストップでA級まで昇級。A級も2期目で挑戦権を獲得、しかも初の全勝での挑戦権獲得というおまけつきでした。

中原先生は当時棋聖と十段の二冠。相対するは、名人を含む三冠も保持していた大山名人でした。大山先生は当時名人を13連覇中。中原先生は大山先生にタイトル戦で勝利したこともありましたが、当時はやはり「名人戦で勝ってこそ本物」という風潮がありました。番勝負は大山先生が先に防衛に王手をかけるも、中原先生がそこから振り飛車を連採。この作戦が功を奏し、カド番から連勝。大山先生とのタイトル保持数も逆転し、長く続いた大山名人時代を止める歴史的瞬間となりました。

 

5位佐藤天彦九段【実力制第十三代名人資格者】 28歳4ヶ月

5位は「貴族」のニックネームでファンの方から親しまれる佐藤天彦九段。ファッションなどにこだわりを見せる棋士として有名です。

天彦先生は18歳でプロ入り。C級2組で足踏みしますが、B級1組を1期抜けすると、A級も1期目で挑戦権獲得。当時は後手番での横歩取りを武器に活躍していました。

当時の名人は羽生先生。当時名には羽生先生か森内先生しか就かない状態が14年続いており、羽生世代という枠まで広げると18年間名人の座を羽生世代の棋士で回していました。結果、天彦先生は4勝1敗で名人奪取。長年続いた「羽生・森内時代」に終止符を打ち、新たな風を吹き込みました。天彦先生は名人を3連覇。引退後70歳で「実力制第十三代名人」を名乗る資格を得ています。3連覇中には、電王戦で当時最強ソフトの「ponanza」と戦い、名人がコンピュータと戦うという歴史的一戦も行いました。

 

6位佐藤康光九段【永世棋聖資格者】 28歳8ヶ月

6位は現日本将棋連盟会長として将棋界を引っ張る佐藤康光九段。「緻密流」と呼ばれる深い読みと独特な序盤戦術は常に注目の的です。

康光先生は17歳でプロ入り。順位戦では順調に昇級を重ね、A級も2期目で挑戦権を獲得。当時四冠の羽生先生をプレーオフで破っての挑戦でした。

当時の名人はこの前年に羽生先生から名人を奪い、十七世名人の資格を得た谷川名人。開幕からお互いに一歩も引かないシーソーゲームとなり、フルセットの末、名人を奪取。実力制の名人がスタートしてから記念すべき10人目の名人となりました。佐藤先生は翌年挑戦者としてリターンマッチにきた谷川先生の挑戦を再びフルセットの末破り連覇を達成。康光先生は、名人戦以外では棋聖戦で6連覇を達成。引退後に「永世棋聖」を名乗る資格を得ています。

 

7位豊島将之九段 29歳0ヶ月

7位は「きゅん」の愛称で親しまれる豊島将之九段。序盤、中盤、終盤隙がない棋風で安定した成績を毎年残しています。

豊島先生は16歳でプロ入り。順位戦では毎年好成績を収め、順調に昇級。A級も2期目での挑戦権獲得となりました。

豊島先生はプロ入り前からその才能は注目されており、史上最年少で奨励会に入会。プロ入り後もタイトルに20歳で登場するなどその実力を遺憾なく発揮していました。しかしタイトル挑戦はするもののなかなかタイトルには手が届かず。しかし2018年度に初タイトル棋聖を獲得すると、王位も奪取。そして初登場となった名人戦でも佐藤天彦名人に対して4連勝で奪取。タイトル獲得に苦戦した豊島先生でしたが、一気に三冠まで上り詰めました。

 

8位大山康晴十五世名人【永世十段永世王位永世王将・永世棋聖】 29歳4ヶ月

8位は「将棋界の巨人」大山康晴十五世名人です。大山先生は名人戦で無類の強さを誇り13連覇を達成。通算でも18期獲得しました。

大山先生はプロ入り当初は順位戦がなく、第1期順位戦ではB級からの参加。第2期では名人挑戦者になるなど、打倒木村名人を期待された若手でした。

大山先生は第11期名人戦で挑戦者として登場。自身2度目の名人戦でした。ここで大山先生は当時最強の木村名人を破りタイトル奪取。20代の名人は当時初であり、当時の最年少名人記録でした。またそれと当時に関西棋士にとっては初の名人誕生であり、西の棋士達が長らく望み続けた「名人の箱根越え」を果たした歴史的瞬間となりました。木村先生は順位戦に参加することなく、そのまま引退。一時代を築いた棋士から名人位が移る歴史的シリーズとなりました。

 

9位丸山忠久九段 29歳9ヶ月

9位は「激辛流」と呼ばれる辛い勝ち方を得意とする丸山忠久九段。丸山九段も羽生先生や康光先生、森内先生などと同じく「羽生世代」の棋士です。

丸山先生は19歳でプロ入り。順位戦では順調に昇級を重ねていき、B級1組では史上初の全勝を果たすといった快挙も成し遂げました。

丸山先生はA級2期目で挑戦権を獲得。名人戦の相手は同じ「羽生世代」の佐藤康光名人でした。名人戦では、先手番なら角換わり、後手なら横歩取り△8五飛車戦法といった丸山先生の得意戦法を佐藤先生が受けて立つという展開に。シリーズを通して戦型が2つしかし現れない珍しいシリーズとなりました。戦いはフルセットまでもつれ、丸山先生が奪取。角換わりと横歩取り△8五飛車戦法における無類の強さを証明する結果となりました。翌年は永世名人資格者の谷川先生の挑戦を受けるもこの年も防衛。名人を通算で2期獲得しています。

 

10位森内俊之九段【十八世名人資格者】 31歳7ヶ月

10位は「鋼鉄の受け」の棋風で知られる森内俊之九段。近年は自身のYouTubeチャンネル「森内俊之の森内チャンネル」を立ち上げています。

森内先生は16歳でプロ入り。順位戦では圧倒的な強さを誇り、順位戦だけで26連勝を達成(歴代1位)。A級も1期目で挑戦権を獲得していました。

A級1期目で挑戦権を獲得し、羽生先生と二人合わせて50歳の最年少名人戦は話題を呼びましたが、奪取はならず。以降毎年高勝率は残すもののなぜかタイトルには手が届かず「将棋界の七不思議」の一つとまでされていました。しかし名人初挑戦から6年後第60期名人戦にて丸山名人から名人を奪取。30歳を越え、ついに初タイトルを獲得し、将棋界の七不思議を打ち破った瞬間でした。森内先生は名人戦では無類の強さを発揮。通算で8期獲得しており、引退後に「十八世名人」を襲位予定です。

 

以上のようになっています。

どの棋士も歴史に名前を残す、凄い棋士ばかりです。

また「名人」という称号は江戸時代からあり、他のタイトル戦とは比べものにならないぐらい、圧倒的な古い歴史をもっていることもあり、必然的に注目度も高くなります。そのため新名人が誕生した時は、ニュースとなり、またさまざまなドラマが生まれてきました。

(例)

・藤井竜王名人→史上最年少名人記録更新。史上2人目の七冠。

・谷川十七世名人→史上最年少名人記録更新。

・羽生九段→七冠へのヴィクトリーロード

・中原十六世名人→史上最年少名人記録更新。大山先生の13連覇を止める

・天彦九段→羽生先生・森内先生時代を止める

・大山十五世名人→史上最年少名人記録更新。名人の箱根越え

etc・・・

今回藤井聡太竜王は、渡辺明名人から名人を奪い、40年ぶりとなる最年少記録更新となり、歴史的瞬間となりました。八冠独占に向けて残るタイトルは王座のみとなりました。そして王座戦の挑戦者を決めるトーナメントは現在進行中で、藤井竜王名人はベスト8に残っています。

最年少名人に続いて今年中の八冠独占となるのか。まだまだ藤井竜王名人の活躍、将棋界の動向に目が離せません!

 

ではまた!

オールナイトニッポン、放送期間最長ランキング(芸人さんのみ)

どうもstsです。

本日のテーマは「ラジオ」です。

今回はその中でも「オールナイトニッポン」について取り上げます。オールナイトニッポンは1967年からニッポン放送をキーステーションに放送され続けている大人気ラジオ番組。

日付が変わり、皆が寝静まる深夜の遅い時間にパーソナリティの人と同じ時間を過ごし聞くラジオが心地良いですよね。今や各曜日大人気で隙のない布陣ともいえるオールナイトニッポン。55年続く歴史ある中でのパーソナリティで最長記録はどうなっているのでしょうか。

歴代パーソナリティのランキングは調べれば出てきそうなので、今回は芸人さんのみに絞ったランキング。皆さんはどこまでご存知ですか?

それではさっそくどうぞ!

※放送中の番組の放送期間は2023年4月現在までのものです。

 

 

1位ナインティナイン 23年4ヶ月(現在24年目)

1994年4月~2014年9月

2020年5月~現在

歴代1位は今なお続くオールナイトニッポンの生けるレジェンド、ナイナイさん。岡村さんの休養、矢部さんの卒業、そして矢部さんの復帰・・・。語りつくせないほどあるナイナイの歴史がこの番組には詰まっています。

 

2位オードリー 13年半(現在14年目)

2009年10月~現在

今やナイナイさんに次ぐ歴代2位にまで登りつめているのはオードリーさん。こちらも現在放送中の番組で、「リトルトゥース」と呼ばれるリスナーとともに、カリスマ的に人気がある番組。全曜日で今なお最も人気な番組です。

 

3位笑福亭鶴光 12年

1974年4月~1985年10月

2006年10月~2007年3月

3位は「ミスターオールナイトニッポン笑福亭鶴光師匠。ナイナイさんに抜かれるまでは芸人1位の記録保持者でした。お色気、下ネタといった独自の路線で人気を博し、11年間(後に1年間放送)に及ぶパーソナリティを務めました。

 

4位ビートたけし 10年

1981年1月~1990年12月

4位は「世界のたけし」ことビートたけしさん。自身の人気絶頂期に放送されていたこともあり、当時は大人気。映画監督を務めていた時期にも重なっており、たけしさんを語る上でも重要な番組でした。

 

5位三四郎 8年(現在9年目)

2015年3月~現在

5位は現在も放送中の三四郎さん。0から無印に昇格するも、再び0に戻り今なお放送中という異色のパーソナリティ。しかし放送期間は現在歴代5位まで上り詰めてきており、0の新パーソナリティの記者会見の司会は恒例でバチボコ人気なのが伺えます。

 

6位タモリ 7年

1976年10月~1983年9月

6位はたけしさんとともに「お笑いビッグ3」と呼ばれるタモリさん。「笑っていいとも」がスタートするよりも前に担当していた番組です。タモさんらしい誰にも真似できない独特の芸風なラジオは人気を博しました。

 

6位とんねるず 7年

1985年10月~1992年10月

同率6位は、「お笑い第三世代」の代表格とんねるずさん。歴代1位のナイナイさんなども聞いていました。「ハガキ職人」という言葉生まれるキッカケになった番組といわれるほど大きな影響力を与えた番組でした。

 

8位ロンドンブーツ1号2号 6年半

1996年10月~2003年3月

2部→1部→superと時間帯を変えながら6年半続いた番組。当時の人気と相まって長く続いた番組でした。自身の自宅の電話番号を誤って生放送中に読み上げてしまい、いたずら電話が大量にかかってきた伝説のエピソードは有名です。

 

9位ウッチャンナンチャン 6年

1989年4月~1995年4月

今はコンビとして活動することが珍しくなったウンナンさんが第9位。先月放送された55周年で久々の復活。ウンナンさん2人でのトークに感激したリスナーも多かったのではないでしょうか。

 

10位松村邦洋 5年9ヶ月

1993年4月~1999年3月

同率9位は、たけしさんや阪神タイガースのスター選手のモノマネでお馴染み、松村邦洋さん。一時放送休止期間はあったものの約6年番組を続けました。今も「DJ日本歴」など人気のラジオ番組に出演しています。

 

以上のようになっています。

そうそうたるレジェンドパーソナリティーばかりです。

歴代トップ10の中に今なお放送中のパーソナリティーが3組(ナイナイさん、オードリーさん、三四郎さん)が入っているというのが凄いですね。それだけ人気な番組が現在放送中の時代に居れていることに感謝ですね。

さて4月から新たにAdoさん、あのさんが加わり新体制となったオールナイトニッポン、これからも楽しみにしています!

ではまた!