実力制名人という称号

どうもstsです。

本日のテーマは「将棋」です。

実力制名人第〇代名人という称号をご存知でしょうか。「あー名人を5期獲得したら名乗れるやつね」と思った方もおられるかもしれません。

しかし今回は名人を5期獲得したら名乗れる「〇〇世名人」という「永世名人」ではなく、「実力制第〇代名人」という「実力制名人」の称号です。

呼ばれている棋士が現在は升田幸三実力制第四代名人がほとんどなので、ご存知の方は升田先生のイメージが強いと思います。

升田先生と言えば「升田式石田流」「雀刺し」「升田定跡」など数多くの戦法や囲い、定跡を編み出し、将棋ファンを魅了。また当時あった3つのタイトルを全て手中に収め、史上初の全冠独占を果たした棋士として有名です。

圧倒的なカリスマ性で人気・実力ともにトップだった升田先生ですが、晩年は体調を崩し休場が目立つようになります。そして1979年に61歳の時に引退を決断しました。

 

升田先生は意外にも永世称号を保持していなかったため、引退後も肩書きは「升田九段」のままでした。かつては、九段の昇段条件がかなり厳しかったこともあり、九段の段位の肩書きはかなり権威のある称号で、九段の棋士が3人しかいないという状態が長らく続いたほどでした。

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しかし九段昇段の条件が次第に緩められていき、九段の棋士が多数出てくるようになり、大山康晴先生と競い共に一時代を築いた升田先生をこのまま九段で終わらせていいのかという声がかねてから挙がっていました。

 

そこで連盟は「名誉名人」の打診をします。名誉名人が贈られた棋士は二人。

・小菅剣之助→将棋連盟が分裂した際に、再び結びつけた立役者

・土居市太郎→実力制以前の時代に活躍。「十四世名人」確実だったものの、実力制への移行を許す。

どちらも将棋界で多大なる功績のある棋士です。

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しかし「名誉名人」を打診するため升田先生の元に向うと升田先生は激怒。「土居名誉名人は名人になれなかったのに、同じに扱うのか」と。土居先生は推挙制の名人が続いていれば十四世名人確実と言われていましたが、その後に実力制がスタート。最終的に名人は名乗れなかった棋士でした。しかしこのままで終われない将棋連盟。そこで生まれたのがこの実力制名人の称号でした。

 

この実力制名人の称号を名乗る条件は

①名人を3期獲得or名人2期でも順位戦で抜群の成績

②引退していること

③70歳を迎えていること

のこの3つです。升田先生は名人獲得数は2期でしたが、順位戦で抜群の成績(A級に連続31期在籍、A級1位の成績9回、A級での通算勝率歴代1位・・・)で引退しており、70歳を迎えていた升田先生は「実力制第四代名人」を名乗り、現在もその称号で呼ばれています。

そして翌年、同じく名人を2期獲得していた塚田正夫名誉十段も順位戦で抜群の成績(A級に通算28期在籍他)ということで、没後に「実力制第二代名人」が贈られました。塚田先生は「名誉十段」の称号が優先して呼ばれることがほとんどですが、名人戦主催社の毎日新聞で塚田先生の名前が出る際は、この「実力制第二代名人」で書かれることがほとんどです。

 

いわば升田先生のために作られ、その後に条件を満たしていた塚田先生にも贈られた称号がこの「実力制名人」の称号。もし5期以上獲得すれば、〇〇世名人の方を名乗るため永世称号の中間地点にあるような特殊な称号となっています。

では現役の棋士でこの条件を得ているのは

佐藤天彦九段→名人3期獲得

渡辺明名人→名人3期獲得

このお二人。名人2期を獲得しているのは

佐藤康光九段→名人2期獲得

丸山忠久九段→名人2期獲得

このお二人です。佐藤康光先生はA級に通算26期在籍、丸山忠久九段はA級在籍数は14期ですが、B級1組で史上初の12戦全勝を果たした棋士であり、名乗れる可能性は十分に秘めていると思います。

 

しかしここで一つ気になるのは、この実力制名人の称号に関するアナウンスがまったくないこと。佐藤天彦先生や渡辺明先生が3期目の名人を獲得した際、「引退後70歳で実力制第十〇代を名乗る権利を得た」という記述やアナウンスがまったくありません。微塵も出てきません。

実際升田先生が実力制第四代名人名乗ったのは昭和63年で、塚田先生は平成元年。つまり30年以上称号者が出ていません。

この称号は果たして残っているのでしょうか。謎につつまれてはいますが、佐藤天彦先生や渡辺明先生が引退後70歳の時にこの称号がどうなっているのか注目です。

ではまた!