将棋界歴代永世名人(実力制以降)

どうもstsです。

 

本日のテーマは「将棋」です。

先日、永世名人の資格を有していた谷川浩司先生が特例で現役のまま「十七世名人」を襲位することが発表されました。

永世称号は原則引退後に名乗ることとなっていますが、これまでの実績と将棋界への貢献を考慮し、還暦を迎えた2022年の名人戦開幕前に襲位となりました。

ということで今回は歴代の実力制以降の永世名人をまとめてみました。どの先生も将棋界の歴史に名を残す棋士ばかりです。

さっそくどうぞ!

 

木村義雄十四世名人

資格獲得:1945年(1949年)

襲位:1952年(規定により引退時に襲位)

実力制の名人が始まり、その初代名人の座に就いたのが木村義雄先生。初代名人となると以後5連覇。当時名人への挑戦権を決めるリーグ戦は2年間かけて行われていたため、10年間名人の座に就きました。しかし当時は永世名人の規定はありませんでした。

木村先生は一度名人を奪われますが、後に奪い返して復位。その際に名人を5期獲得した者は永世名人を名乗るという規定ができ、遡って5期目を獲得した1945年に資格を得たこととされています。その後復位した名人の座を大山先生に奪われると、順位戦に参加することなく引退。規定により十四世名人を襲位することとなりました。

木村先生は日本将棋連盟会長も務め順位戦制度の導入、また角換わり腰掛け銀同型における「木村定跡」や駒落ちにおける定跡を執筆した『将棋大観』など、定跡の部分でも大きく貢献しました。

 

 

大山康晴十五世名人【永世十段永世王位永世王将・永世棋聖

資格獲得:1956年

襲位:1976年(特例で現役のまま襲位)

木村先生に引導を渡し、木村先生からは後継者と指名された大山先生。大山先生はまさにその木村先生を受け継ぐように名人を5連覇。十五世名人の資格を得ます。その翌年名人を奪われますが、その後復位すると驚異の名人13連覇を達成。通算で名人18期を獲得。名人13連覇、通算18期獲得は名人戦の歴代1位の記録です。

大山先生は無冠になった際、その実績から他の棋士と同列の九段では呼べないということで特例で現役のまま永世王将を名乗っていましたが、1976年の会長就任の前に現役のまま十五世名人に特例で襲位しました。

大山先生は受けを得意とする振り飛車党。居飛車の急戦に対して圧倒的な受けの力で幾度となく逆転劇を演じてきました。また居飛車穴熊が主流となっても、穴熊に組ませて戦うのも得意とし、全振り飛車党が手本とする棋士でした。

 

 

中原誠十六世名人【永世十段永世王位名誉王座・永世棋聖

資格獲得:1976年

襲位:2007年(特例で現役のまま襲位)

中原先生は18歳でプロ入り。順位戦ではプロ入りから毎年昇級を重ねノンストップでA `級に昇級。名人戦では13連覇という圧倒的な強さを誇っていた大山先生の連覇を記録を止めると以後名人を9連覇、中原時代を築きました。その後は名人の座に2度復位。通算で名人を15期獲得しました。

中原先生は無冠になった際に、大山先生同様その実績から他の棋士と同じ九段とは呼べないという理由で、永世十段を特例で現役のまま名乗っていましたが、60歳の還暦を迎えた時に特例で現役のまま十六世名人を襲位しました。

中原先生は本格派居飛車党で「自然流」と呼ばれる自然な指し回しは、プロアマ含め多くの将棋指しの手本となりました。相居飛車では矢倉と相掛かり、対振り飛車には天守左美濃と位取りの戦いを得意としていました。

 

 

谷川浩司十七世名人

資格獲得:1997年

襲位:2022年(特例で現役のまま襲位)

先述のように、現役のまま「十七世名人」を名乗ることになった谷川浩司先生。史上二人目の中学生棋士としてデビューし、1年目のC級2組で足踏みした以外は順位戦で毎年昇級。A級でも1年目で挑戦権を獲得すると、加藤一二三名人を破り、21歳2ヶ月という今なお破られていない史上最年少の若さで名人の座に就きました。

以降は中原先生や羽生先生の台頭もあり、一時は無冠となりますが1997年には名人を奪還。通算5期目の獲得でで十七世名人の資格を得ました。以後も名人戦の舞台には数多く登場し、羽生世代の棋士たちと激闘を繰り広げ、日本将棋連盟の会長も務めました。

谷川先生は角換わりを得意とする居飛車党。また終盤戦において相手の王様を一気に寄せ切る様は「光速の寄せ」と呼ばれています。また谷川先生は対局姿勢や所作の美しさでも知らており、盤上だけでなく盤外でもファンを魅了し続けています。

 

 

森内俊之九段【十八世名人資格者】

資格獲得:2007年

襲位:引退後に襲位予定

森内先生はプロ入り後安定的な成績を収めますがタイトルは獲得できませんでした。しかし30代に入りついに初タイトルの名人を獲得。実力者であるにも関わらず、タイトルには手が届かず「将棋界の七不思議」と言われていたものを打ち破った瞬間でした。

森内先生は翌年名人を奪われますが、以後4連覇。同学年のライバルである羽生先生に先んじて永世名人の資格を獲得し、名人は通算8期獲得しました。2017年にはA級から降級し、同年フリークラス入りを宣言。規定により満65歳での引退は決まっているため、2036年までに十八世名人を襲位することとなります。

森内先生は矢倉を得意とする居飛車党。中でも受けを得意としており、「鋼鉄の受け」「鉄板流」と呼ばれる棋風が特徴。また現在はYouTubeにて『森内俊之の森内チャンネル』を開設しており、様々な動画を投稿しています。

 

 

羽生善治九段【十九世名人・永世竜王永世王位名誉王座永世棋王永世王将・永世棋聖資格者】

資格獲得:2008年

襲位:引退後に襲位予定

羽生先生は史上3人目の中学生棋士としてデビュー。順位戦では安定した成績を残し昇級を積み重ね、23歳で名人を獲得。名人戦ではライバルである森内先生とは激闘を繰り広げ、通算で9期獲得しました。

羽生先生は森内先生が十八世名人を資格得た翌年に十九世名人の資格を得ると、2017年には永世竜王の資格を得て将棋界初の「永世七冠」を達成。将棋界初となる国民栄誉賞の受賞となりました。羽生先生の永世称号は唯一還暦で名乗れる名誉王座以外は現在のところ引退後に襲位予定となっています。

羽生先生は居飛車振り飛車、急戦持久戦全て指しこなし、その全てで高い勝率を残すオールラウンドプレーヤー。先日も将棋界初となる1500勝を達成するという金字塔を打ち立て、様々な記録を作り塗り替え続ける将棋界のスーパースターです。

 

   

 

以上のようになっています。

引退した棋士は普通「〇〇九段」のように段位で呼ばれますが、永世称号が付いているとそれだけ、後世の人にもいかに凄かった棋士であるかがより明確に伝わりやすくなり、将棋界ではとても名誉なことです。

中でも永世名人は江戸時代から受け継がれている称号(「〇〇世名人」という数字は江戸時代の世襲制の名人から受け継いだ数字)ということもあり、最も権威ある称号です。

現在永世名人は実力制以降では6名誕生しており、江戸時代から数えると19名誕生していることとなります。そして次の永世名人は記念すべき「二十世名人」となります。その二十世名人の資格を誰が得るのか、将棋界のこれからが楽しみです!