名人戦黎明期を振り返る②

どうもstsです。

今回は前回の続きとなる記事。名人戦の黎明期を振り返っていきます。

前回は様々な出来事が起こった中での初代名人を懸けた流れを振り返りました。

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今回は第2期~第3期を振り返ってみます。

それではさっそくどうぞ!

 

【第2期名人決定大棋戦】

①第2期名人決定大棋戦スタート

実力制初代名人となった木村義雄名人。第2期名人戦の挑戦者を決める戦いが始まります。前回の第1期のリーグ戦の途中で病気により亡くなった大崎熊雄八段、前回成績下位により規定で不参加となる木見金治郎八段を除いた全八段に加え、南禅寺の決戦・天龍寺の決戦を戦った坂田三吉八段格、全七段によるリーグ戦を勝ち抜いた渡辺東一七段、全9名で行われます。参加者は以下の通り。

・土居市太郎八段(前期3位。関根十三世名人時代の実力No.1。)

金易二郎八段(前期7位。後の名誉九段。)

・花田長太郎八段(前期2位。終盤の花田。)

金子金五郎八段(前期5位。将棋世界初代編集長。)

・神田辰之助八段(前期4位。関西の実力No.1。)

萩原淳八段(前期6位。後の日本将棋連盟会長。)

・斎藤銀次郎八段(八段昇段で参加。「徹夜の神様」。)

坂田三吉八段格(「八段格」として参加。関西で「名人」を名乗る。)

・渡辺東一七段(七段リーグ戦突破により参加。後の日本将棋連盟会長)

また第1期では他紙の成績も加味された上での名人決定方法でしたが、第2期では主催者の毎日新聞の棋戦のみの成績で挑戦者を決めることとなりました。

 

②土居八段が挑戦権を獲得

参加9人による総当たりで行われた第2期。1次リーグと2次リーグを行いますが、1次リーグの成績下位者は2次リーグに進めないというルールでした。

このリーグ戦において、絶好のスタートを切ったのは、関根金次郎十三世名人時代に実力No.1とうたわれた土居八段でした。当時50歳を超えていながら、1次リーグを全勝。一方前期は2位で木村八段(当時)と初代名人の座を争った花田八段は第2期では不調。1勝7敗と苦しみ、2次リーグに進めませんでした。

2次リーグに入っても土居八段は好調。最終的には全勝というぶっち切りの成績で名人挑戦権を獲得。第2期名人戦七番勝負は「名人VS前時代の覇者」という構図となります。

 

③定山渓の名局、木村名人の連覇

実力制初代名人の木村名人と関根金次郎十三世名人時代実力No.1とうたわれた土居八段の名人戦ですが、木村名人が開幕2連勝を飾ります。

しかし第3局、相掛かりの将棋は千日手となります。日を改めて行われた指し直し局も相掛かりとなりますが、なんとまたしても千日手。さらに日を改めて北海道の定山渓で再度の指し直し局が行われます。2千日手となった本局ですが、この対局を土居八段は見事勝利。互いに力を出し尽くしたとして知られるこの1局は「定山渓の名局」と呼ばれています。またこの対局で土居先生が採用した矢倉は現在AIの隆盛で復活を遂げており、「土居矢倉」と呼ばれています。

一番返された形になった木村名人、しかし第4局、第5局と流れを渡さず連勝。リーグ戦を全勝で乗り切った挑戦者を跳ね除け、名人の強さを示す2連覇となりました。

 

【第3期名人戦

①第3期でも大幅なルール変更

第3期でも大幅ルール変更。今回は前回も参加の八段に加え、規定により今期から復帰となる木見八段、さらに新たに八段に昇段した坂口允彦八段と塚田正夫八段に、五段~七段による予選を勝ち抜いた大野源一七段と渡辺東一七段の計12名で挑戦権を争います。

まず12名を4名ずつの3組に振り分け、第一次予選を行います。そこで各組1位は第二次予選に進出。そして各組で2位だった棋士でトーナメントを行い、その棋士は第二次予選に進出。A~C組代表と次点代表の4名で第二次予選を行い、成績1位の棋士が名人挑戦者となるルールとなりました。

参加棋士は以下の通り。

【A組】

金易二郎八段(前期8位。後の名誉九段。)

金子金五郎八段(前期5位。将棋世界初代編集長)

・神田辰之助八段(前期3位。関西で実力No.1。)

・坂口允彦八段(八段昇段により参加。「クロガネ」。)

【B組】

・土居市太郎八段(前期1位。関根十三世名人時代の実力No.1。)

・花田長太郎八段(前期9位。第1期名人の座で木村八段と争う。)

・斎藤銀次郎八段(前期6位。「徹夜の神様」。)

大野源一七段(予選突破により参加。「振り飛車名人」。)

【C組】

・木見金次郎八段(今期からリーグ戦に復帰。升田幸三大山康晴の師匠。)

萩原淳八段(前期2位。後の日本将棋連盟会長。)

塚田正夫八段(八段昇段により参加。後の名誉十段。)

・渡辺東一七段(予選突破により参加。後の日本将棋連盟会長。)

 

②神田辰之助が挑戦者に

新たな形で行われたリーグ戦では、A組は神田八段、B組は土居八段、C組は渡辺八段、そして次点組からの復活で塚田八段が勝ち進みます。

4名による総当たりによる二次予選では神田八段が5勝1敗という圧倒的な成績を残し挑戦権を獲得。第1期名人を決める戦いの最中では神田七段の八段で昇段で将棋連盟分裂しましたが、その神田八段が挑戦権を獲得して名人戦の挑戦者になるという形になりました。

そして神田八段は関西出身の棋士。今まで常に名人は関東の棋士が保持してきたため、初の関西での名人、いわゆる「名人の箱根越え」に期待がかかります。

 

③木村、圧巻の防衛劇。

注目の名人戦開幕前、木村名人は口内炎がひどく、神田八段は肺病を患っての戦いという両者病体での戦い。それに加え神田八段の夫人も第1局開幕前に入院するという大変な状態だったいいます。

注目の第1局は神田八段優勢のまま終盤に突入。しかし終盤、時間に追われて指した手によって一気に逆転。好局となるはずの予定だった一局を落とすこととなった神田八段。神田八段をこの敗局が響いたか4連敗でシリーズを終えます。また今期は敗れても1勝以上していれば「準名人」を名乗れることとなっていましたが、それも逃す形となりました。

一方防衛した木村名人はこれで3連覇。第2期~第3期も2年間懸けて挑戦権を争っていたため、これで6年間名人の座に就くこととなりました。

 

以上のようになっています。

第2期はリーグ戦を全勝で勝ち抜いた土居八段。第3期は関西の強豪、神田八段を破っての防衛劇で木村名人の3連覇となっています。この時代の木村先生の圧倒的な強さが見て取れます。

当時の盛り上がりぶりは生きていないのでわかりませんが、前時代最強だった土居先生がリーグ戦を全勝で勝ち抜いて、52歳ながら年下の現最強の木村名人に挑戦するという構図は、今年の王将リーグを全勝で勝ち抜いた羽生善治九段が藤井聡太王将に挑戦した構図と似ている気がします。今年の王将戦も「世紀の一戦」、「天才対決」、「平成の天才VS令和の天才」などと呼ばれ、大きな盛り上がりを見せたため、それと同じぐらいの盛り上がりだったのかもしれません。

第3期では関西の神田八段が「名人の箱根越え」を懸けて争っています。どこの業界でもそうですが、やはり東西の対立構造は黎明期ではよく見られます。期待を一身に背負った戦いは、大きな注目度があった思われます。

次回は第4期・第5期を振り返りたいと思います。

ではまた!

 

※参考文献

加藤一二三著『将棋名人血風録 奇人・変人・超人』

日本将棋連盟ホームページ

www.shogi.or.jp

順位戦データベース

www.ne.jp