将棋界絶対王者同士のタイトル戦

どうもstsです。

本日第72期ALSOK杯王将戦の挑戦者を決める挑戦者決定リーグの最終戦が行われました。挑戦権は羽生善治九段と豊島将之九段の二人に絞られ、直接対決となり、羽生九段が勝利。

これで藤井聡太王将と羽生善治九段のタイトル戦が実現!「平成と令和を代表する天才同士の対決」となります。時代を象徴する絶対王者同士のタイトル戦がついに実現となったため、話題を呼んでいます。

では過去将棋界の絶対王者同士の対決はどうだったのでしょうか。まとめてみました。それではさっそくどうぞ!

 

※今回取り上げる将棋界の絶対王者

土居市太郎名誉名人→実力制名人戦が始まる前の時期に活躍。この時代は「土居時代」とも呼ばれ、もし推挙制の名人が続いていれば十四世名人の座は土居先生だったといわれています。その強さと活躍ぶりから、後に名誉名人が贈られました。

木村義雄十四世名人→戦前~戦後にかけて活躍。今のプロ将棋界の黎明期を支え、発展させた大名人。「常勝将軍」「十年不敗」と言われ、当時は一つしかないタイトル名人の座を守り君臨し続けました。

大山康晴十五世名人→戦後からの昭和期において活躍。無敵と謳われた木村先生を打ち破り、名人の座に就きました。その後は五冠独占、亡くなるまでA級の座を守りぬくなど不滅の記録を数多く保持。「巨人」「不死鳥」と呼ばれました。

中原誠十六世名人→昭和40年代から平成初期に活躍。長く続いた大山時代を打ち破り「棋界の太陽」と称されました。また王道を往く自然な指し回しは「自然流」と呼ばれ多くの棋士の手本となりました。

羽生善治九段→平成の間常に活躍。今の30~40代の人は羽生さんで将棋を知ったという人が多いのではないでしょうか。七冠独占、永世七冠王座戦19連覇・・・数多くの歴代1位の記録を保持する生ける伝説。

藤井聡太王将→令和から活躍中。史上最年少でプロ入りするとデビューから負けなしでいきなり歴代1位の29連勝を記録。その後も最年少記録を続々を塗り替え続け、現在は五冠を手中に収めています。今や将棋界の枠を越え知らぬ人はいない存在。

 

土居市太郎名誉名人VS木村義雄十四世名人 1回

関根金次郎十三世名人の時代に実力No.1だった土居先生。しかし関根名人が名人位を返上し、実力制の名人戦がスタート。実力制初代名人の座は自身より年下である木村義雄八段が就きます。

続く第2期。50代に入り、年齢的に厳しくなってくる中、土居先生は名人挑戦者を決める八段のリーグ戦にて、13戦全勝という離れ業を成し遂げ、名人挑戦権を獲得。「前時代の最強棋士VS現名人」という構図になりますが、結果は木村先生が防衛。連覇を果たしました。

土居先生としてはこれが唯一のタイトル戦となりますが、この名人戦で勝利を挙げた千日手指し直しの将棋は「定山渓の決戦」と名打たれ有名な棋譜となっています。またその将棋で披露した土居矢倉は現代矢倉で復活を遂げています。

 

※当時の第2期名人について木村先生が語っている対談記事。木村先生が亡くなる1年前のもので非常に興味深く、貴重な内容です。

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木村義雄十四世名人VS大山康晴十五世名人 2回

実力制名人がスタートとして長らく名人の座に就いた木村先生。その木村先生に引導を渡したのが大山先生でした。木村先生と大山先生のタイトル戦は2度実現。そして2回とも名人戦でした。

最初は第9期名人戦。前年に名人に復位した木村先生に大山先生が挑みますが、結果は木村先生の防衛。木村名人が貫禄を示します。そして2度目は第11期。今度は大山先生が勝利を挙げて史上3人目の実力制名人の座に就きました。

年齢的にも厳しくなってきた木村先生は、名人を奪われると順位戦に参加することなく引退を表明。一時代に終止符が打たれた歴史的瞬間でした。木村先生はその後は非公式戦をメインに対局をこなし、普及活動に専念。木村先生から後継者として指名された大山先生はその後、時代を築き活躍します。

 

※名人移り変わりの瞬間を描いた観戦記。名人を奪われながらも潔く負けを認め、新名人を讃える姿は格好良さがあります。

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大山康晴十五世名人VS中原誠十六世名人 20回

木村先生の後を継ぐように、大山時代を気づいた大山先生。全冠独占、50期連続タイトル戦登場、そして圧倒的な盤外戦術。他を寄せ付けない強さを誇った大山時代を塗り替えていったのが中原誠十六世名人でした。

大山先生は中原先生に覇権を譲っても、タイトル戦に幾度となく登場。当時の二人は将棋界を代表する2トップという感じでした。昭和の時代に将棋を知っている人に将棋の強い人二人を挙げよと問いかけるとこの二人の棋士をあげることが圧倒的に多い気がする。

大山先生と中原先生はタイトル戦で通算20回激突。当時歴代1位タイの記録でありました。年齢差が24歳と二回りも離れているにも関わらずこれだけの回数当たったのは異常ともいえますし、大山先生の凄さがわかる記録です。

 

※大山先生と中原先生の全対局が掲載されている本。大山先生の受け、中原先生の左美濃や急戦の指し回し。居飛車穴熊が隆盛する前の居飛車振り飛車の将棋真髄がここにあります。

 

 

中原誠十六世名人VS羽生善治九段 0回

昭和~平成初期に活躍した中原先生と平成で活躍した羽生先生。同じ時期にタイトルを保持していたことはありましたが、タイトル戦で相まみえた回数はなんと0(!)。一度は見たいと思ったゴールデンカードの組み合わせでした。

最も近づいたのは1995年度の第53期順位戦。名人だった羽生先生に中原先生がプレーオフにこぎ着けるも敗退。当時羽生先生も夢の七冠独占へあと一つと迫っており、七冠王VS永世名人の構図に期待がかかりましたが、実現せず。しかし時は流れ2003年。中原先生が竜王戦にて挑戦者決定戦まで到達。当時55歳の中原先生が挑戦者となれば大きな話題を呼びましたが、ここでも敗退となりました。

絶対王者として君臨した両先生。ちょうど間の世代にあたる谷川浩司先生とは両先生とも幾度なくタイトル戦で顔を合わせましたが、直接対決は実現せず。中原先生は自身の体調面もあり2008年に引退。夢の対戦カードは幻となりました。

 

※中原名人と羽生竜王が対談した貴重な記事。当時の将棋界の情勢が伺える内容となっています。

https://shogipenclublog.com/blog/2015/02/23/nakaharahabutanaka-2/

 

 

羽生善治九段VS藤井聡太王将 1回

史上最年少でプロ入りを果たし29連勝を果たした藤井聡太先生。この時羽生先生は「檜舞台で会えることを楽しみにしています。」とコメントを出します。しかし平成最後の竜王戦で羽生先生は失冠し、無冠。そして令和に入ってから藤井先生は初タイトル獲得。運命の歯車はまたしても嚙み合いません。

最初に実現可能だったのは、2020年の王位戦。王位の座に就く藤井先生に羽生先生が挑戦者決定戦まで漕ぎつけます。夢のカード実現まであと1勝と迫りますが、ここで勝利したのは豊島将之先生。あと一歩で阻まれます。

そして今年2022年、藤井王将への挑戦権を懸けた王将リーグにて羽生先生は5連勝。それを1敗で追いかけるのはまたしても、豊島先生。しかし最終戦でその豊島先生を羽生先生が破り、挑戦権獲得。夢の檜舞台を実現させました。

 

藤井聡太四段が羽生善治三冠を破り、話題となった「炎の七番勝負」をとりまとめた本。当時連勝記録を続ける中学生が三冠の王者に挑む姿が衝撃でした。非公式戦ではありますが、夢の対戦カード第0局といえる勝負です。

 

 

以上のようになっています。

年齢差でみると

土居市太郎名誉名人 1887年生まれ

↕18歳差(タイトル戦で1回対決)

木村義雄十四世名人 1905年生まれ

↕18歳差(タイトル戦で2回対決)

大山康晴十五世名人 1923年生まれ

↕24歳差(タイトル戦で20回対決)

中原誠十六世名人 1947年生まれ

↕23歳差(タイトル戦実現せず)

羽生善治九段 1970年生まれ

↕32歳差(タイトル戦で1回対決←NEW)

藤井聡太王将 2002年生まれ

となっています。

かつては年齢差から「将棋界のスーパースターは20年~25年周期で現れる」とも言われていました。

この年齢分布図から見るとやはり年齢差が約20歳離れていると、タイトル戦は1、2回しか実現しないと見るのが普通です。

そう考えるとタイトル戦を20回実現させた大山先生、32歳差という圧倒的な年齢差のタイトル戦を実現させた羽生先生の凄さもわかります。

 

さて夢のタイトル戦が実現した第72期ALSOK杯王将戦。タイトル戦は年明けから行われます。誰もが夢見た、間違いなく歴史に残るゴールデンカード、見逃せません!

ではまた!