将棋界の名誉名人

どうもstsです。

今回のテーマは「将棋」です。そして今回は「名誉名人」の称号についてまとめてみたいと思います。

将棋界には名人を5期獲得することによって得られる「永世名人」の称号があります。江戸時代から受け継がれるこの永世名人の称号は最も権威ある称号ともいえ、聞いたことがある方も多いと思います。 

それとは別に名誉名人という称号が存在し、現在までに2人の棋士に対して贈られています。

ではその棋士はどのような棋士なのか。どのような経緯で名乗るようになったのか、まとめてみました。それではさっそくどうぞ!

 

①小菅剣之助(こすげ けんのすけ)名誉名人

棋士から国会議員になった異色の棋士

1921年には十三世名人を打診されるも拒否。最終的に弟弟子にあたる関根金次郎が十三世名人の座に就きました。

そしてその後に関根が名人位を返上して、実力制名人がスタートします。第1期名人を決めるべく、当時の八段によるリーグ戦が行われます。しかし当時の参加棋士は関東の棋士ばかりで関西の棋士が反発。当時関西のトップ棋士だった神田をリーグ戦に加えるべきかどうかで揉め、将棋連盟が分裂してしまいます。

しかし記念すべき実力制の名人を決める大会で有力棋士が抜けては意味がなく、将棋界は困り果てます。そこで白羽の矢が立ったのが既に現役を引退していた小菅でした。小菅は仲介役として活躍。分裂していた2つの団体を再び統合させました。その結果、名人を決めるリーグ戦は続行となり、今の名人戦順位戦へと繋がっていきます。

この功績を讃え、小菅には名誉名人の称号を贈呈。その後、木村義雄先生が永世名人の資格を得る前に、十四世名人を襲位して将棋界に関わって欲しいという要望を受けますが、それは固辞した模様です。

 

②土居市太郎(どい いちたろう)名誉名人

実力制名人が始まるに活躍した棋士。現代の将棋ソフトの影響で興隆をみせる土居矢倉はこの土居名誉名人が使っていたことが名前の由来とされます。

1921年、関根金次郎が十三世名人の座に就くも当時関根は棋士としての指し盛りは過ぎており、実力トップは土居であり、この時代は「土居時代」とも呼ばれており、関根の次の十四世名人は土居だという声がありました。

しかし、関根が名人の座を返上し、実力制の名人がスタートします。しかし関根が名人に就いている間に木村義雄の台頭、そして自らの指し盛りが過ぎたということもあり、初代実力制名人の座を木村に譲ることとなります。

しかし続く第2期名人戦、木村名人の前に挑戦者として現れたのは土居でした。52歳という指し盛りを過ぎた年齢ながら13戦全勝という驚異的な成績で名人に挑戦。当時の最強である名人(木村義雄)と前時代の覇者(土居市太郎)というこれ以上ない構図の戦いとなりますが、結果は木村名人の防衛。これが土居にとっての唯一のタイトル戦となりました。

土居はその後引退。実質第一人者であり、十四世名人を名乗れる存在でもあったこともあり、引退後に名誉名人が贈られました。十四世名人候補筆頭であり、実力制名人の制度を許し、今の実力制の名人戦へと繋がっています。

 

以上のように名誉名人は、永世名人のように名乗るための条件や規定が決まっている訳ではありません。

しかしこの両先生の共通点としては、世襲制時代に名人を名乗れるほどの実力者であり、かつ後世に語り継がれる多大な功績を残した名棋士というのが共通点です。

小菅名誉名人は名人戦や連盟の存続という功績を讃えて、土居名誉名人は十四世名人を名乗れたにも関わらず実力制の名人への移行を許したことの意義も大きく、今の将棋界があるのもこの両棋士のおかげともいえます。

そのような棋士に対して段位で終わられる訳にもいかず、後世の人にも称号があれば凄さが伝わりやすいですよね。

 

そして時は流れ、升田幸三九段(当時)が引退します。史上初の全冠独占、名人に香を引いて勝つ、様々な戦法の開発といった功績を残し、大山先生と時代を分け合い、一時代を築いた棋士が他の棋士と同じ九段で終わらせていいのかという議論が巻き起こります。そこで連盟はこの名誉名人を提案。升田先生の元へ向かいますが、升田先生はこれを拒否。

 名誉名人は名人になれなかった人が名乗る称号、自分は実際名人に就いたのにそんな称号はいらないというのが理由でした。

名誉名人は、名人に就けなかった人が名乗るものと明文化されたものはありませんが、確かに将棋界で名誉○○という称号はその○○の地位に就かなかった人に贈られている印象はあります。

ではどうしたのかということですが、今回は名誉名人のお話なので、それは割愛します。

※追記(2023年5月29日)

名誉名人が断れた後についてはこちらの記事をご覧ください。

oknsts1018.hatenablog.com

 

以上が名誉名人の説明となっております。

名誉名人の記述はあまり見つからなかったので、極力わかりやすく説明してみました(つもりです汗)。

 これから将棋界にも名誉名人を名乗れるような多大な功績を残す棋士が出てくるといいですね!

ではまた!