A級順位戦、歴代の50代の棋士

どうもstsです。

 

本日9月27日は羽生善治九段、50歳の誕生日です。おめでとうございます!

羽生九段といえば先日竜王戦の挑戦権を獲得、さらには王将リーグ開幕戦で藤井聡太二冠を破るなどトップ棋士として今なお健在ぶりを示しています。

また羽生九段は現在順位戦でも一番上のクラスであるA級に在籍。同世代である佐藤康光九段とともに50代でA級棋士として戦っています。

では今まで50代でA級に在籍した棋士は何人いるのでしょうか、またどのような棋士がいるのでしょうか。今回はそちらをまとめてみました。

 

さっそくどうぞ!

※各棋士の横の()内の年齢は最後にA級に在籍した時の年齢です。

 

 

金易二郎名誉九段(56歳)

第1期順位戦から参加。記念すべき第1期A級順位戦は当時八段だった14名の棋士の総当たりで行われました。その中で50代だったのが金八段(当時)と土居市太郎八段(当時)でした。金先生はその第1期で降級となり第1期限りでの引退となり、引退後には名誉九段が贈呈されました。棋士番号は1であり、また現日本将棋連盟になる前の体制の日本将棋連盟では会長を務めました。

 

・花田長太郎贈九段(50歳)

第1期順位戦から参加。第2期で50歳を迎えます。そこでA級3位となり挑戦者決定戦へと進出。(当時はA級の上位3人とB級の1位で名人挑戦者を決める規約。)しかし病気による体調不良もあり挑戦者決定戦には参加せず不戦敗となり、その後に亡くなります。花田先生は坂田三吉贈王将・名人が端歩を突いたことで有名な「天龍寺の決戦」の対戦相手といても有名です。

 

・村上真一八段(50歳)

第1期順位戦から参加。第1期では金先生と同じく降級し、第2期ではB級で1位の順位になるはずでした。しかし第2期のA級に在籍しており、チェスの名手でもあった坂口允彦八段がチェス界に転向するため休場を発表。A級に欠員が出たため、B級で1位だった村上八段が繰り上がりでA級に参加しました。結果は降級となりましたが、欠員補充のための繰り上がりという珍しいケースを経験した棋士です。

 

・土居市太郎名誉名人(61歳)

第1期順位戦から参加。関根金次郎十三世名人の時代に強さを発揮したものの、当時は世襲制の名人のため、名人にはなれませんでした。実力制の名人戦が始まったころには50歳を超えており、第3期A級順位戦で降級。そのまま引退を決断しました。引退後には「名誉名人」の称号が贈られました。近年コンピュータ将棋の影響で増えている「土居矢倉」はこの土居先生が多用していたことが名前の由来となっています。

 

大野源一九段(53歳)

第1期順位戦から参加。第5期と第10期の順位戦でA級から降級するものの、いずれもA級に復帰しました。45歳の時2度目のA級に復帰を決めると、53歳までA級に在籍し続けました。大野先生は「振り飛車名人」の異名で知られ、升田幸三先生や大山康晴先生の兄弟子にあたります。また振り飛車の戦いにおける醍醐味である捌きの名手でもあり、久保利明先生が憧れる振り飛車棋士としても有名です。

 

・原田泰夫九段(50歳) 

第1期順位戦から参加。第1期の時は四段であり、C級で参加していました。その後は順調に昇級を重ね20代でA級に登り詰めます。しかし30代半ば~40代半ばにかけてB級2組に降級。しかしそこから息を吹き返し48歳の時、A級への復帰を果たします。その後、50歳になるまでA級に在籍しました。原田先生は初心者向けの解説がわかりやすいのが有名であり、現代もよく用いられる将棋における格言の多くは原田先生が作られたものとして有名です。

 

丸田祐三九段(55歳) 28期

第1期順位戦から参加。丸田先生も第1期の時は四段であり、C級からの参加でした。翌年もB級で昇級を果たし、第3期ではA級棋士として参加しました(当時はA級・B級・C級の3クラス)。一度A級から降級しますが、復帰。そこから長らくA級に在籍し続け、50代半ばまでA級に在籍しました。丸田先生はひねり飛車における「丸田流」はあまりにも有名。また現役を長く続け、加藤一二三先生に破られるまで最年長記録保持者でした。

 

塚田正夫名誉十段(60歳) 

第1期順位戦から参加。第2期で名人戦の挑戦権を獲得すると無敵を誇っていた木村義雄名人(当時)から名人を奪取。実力制2代目の名人となりました。A級には連続26期在籍するも降級。翌年にはA級復帰を決め、その後還暦を迎えるまでA級に在籍しました。塚田先生は詰め将棋の大家として知られ、「寄せの塚田」とも呼ばれました。また九段戦において強さを発揮する様から「九段男」とも呼ばれました。

 

花村元司九段(61歳)

第1期順位戦から参加。A級とB級1組を何度か行き来しますが、48歳でB級1組から昇級。その後、53歳で降級するまでA級に在籍します。しかしこれで終わらずなんと60歳で四度目のA級へと復帰を遂げました。60歳での昇級は今も破られていない最年長記録です。花村先生はプロになる前は賭け将棋で生計を立てるいわゆる「真剣士」として有名であり、その名が知れ渡り、異例のプロ五段試験へと繋がったことが有名です。

 

升田幸三実力制第四代名人(61歳)

第1期順位戦から参加。当時は七段でB級からの参加でした。その第1期で昇級を決め、翌年からA級に参加。第16期名人戦では弟弟子にあたる大山康晴名人(当時)を破り悲願の名人の座に就くとともに、当時あったタイトル三冠を全て独占しました。名人失冠も強さは際立ち、A級には連続31期在籍。晩年は休場が目立ち、A級のまま自ら引退しました。A級での通算勝率は7割を越えており、歴代1位の記録となっています。

 

二上達也九段(55歳)

第6期順位戦から参加。初参加からA級までB級1組で1年足踏みした以外は毎年昇級を重ね、A級まで5年という驚異的なスピードで登り詰め、22年連続でA級に在籍しました。B級1組降級後も、即復帰。50歳でA級に在籍します。51歳で再び降級しますが53歳でA級に復帰し、強さを見せつけました。二上先生は羽生善治先生の師匠としても知られ、大山先生の五冠独占を二度崩すなど、記憶に残るシリーズも多いです。

 

大山康晴十五世名人(69歳)

第1期順位戦から参加。当時は六段でB級からの参加でした。第3期順位戦でA級に昇級すると、第6期順位戦では挑戦権を獲得し、初の名人の座に就きました。その後は名人を13連覇を含む通算18期獲得。名人失冠後も会長の座に就きながらもA級に在籍。還暦を越え、ガンに侵されながらも復帰し戦う姿は「不死鳥」とも呼ばれました。大山先生は69歳で亡くなるまでA級に在籍。連続44期の在籍記録は歴代1位となっています。

 

・内藤國雄九段(52歳)

第14期順位戦から参加。A級とB級1組を何度か行き来しますが、第45期順位戦で47歳ながら4度目のA級昇級。その後52歳までA級に在籍し続けました。内藤先生は「自在流」の棋風で知られる通り、横歩取りの大家として有名で、第1回升田幸三賞の受賞棋士でもあります。また歌手としてもCDで発売した「おゆき」はミリオンセラーとなり、「将棋界で最も将棋が強く、歌手界で最も将棋が強い」ともいわれました。

 

・有吉道夫九段(60歳)

第10期順位戦から参加。A級4期目で名人戦の挑戦権を獲得し、名人戦の舞台では大山康晴名人(当時)と師弟対決に挑みました。有吉先生は2度目のA級降級後、54歳でA級への昇級を決めます。その後もA級で戦い抜き、還暦でA級を達成。こちらも大山先生に続き、師弟でA級還暦という記録を残しました。有吉先生は「火の玉流」の棋風で知られ、矢倉における▲4六銀・▲3七桂の形は「有吉流」とも呼ばれます。

 

・森けい二九段(50歳)

第23期順位戦から参加。A級1期目の時に、いきなり名人戦挑戦権を獲得すると、名人戦第1局の舞台では頭を坊丸めて現れ、皆の度肝を抜きました。その後は2度目のA級降級後、49歳でA級昇級を決め、50歳でA級で戦いました。また59歳の時はB級1組への昇級を決め、還暦ながらB級1組への復帰を決めるなど、ベテランの意地を見せ続けた棋士でした。森先生は終盤に力を発揮し、「終盤の魔術師」という異名でも知られました。

 

米長邦雄永世棋聖(54歳)

第18期順位戦から参加。若手時代から注目される存在でタイトルをいくつも獲得しましたが、名人のタイトルにだけはなぜか届かず「不運の棋士」とも呼ばれました。しかし、第51期順位戦で7度目となる挑戦権を獲得すると、宿敵中原誠名人(当時)から奪取。49歳での名人獲得は将棋界を越えて話題となりました。米長先生は名人失冠後もA級に在籍し、54歳の時に降級。その後は順位戦には参加せずフリークラスに在籍しました。

 

中原誠十六世名人(52歳)

第21期順位戦から参加。順位戦初参加から毎年昇級を重ね、A級2期目で名人挑戦権を獲得すると最強を誇っていた大山名人(当時)から名人を奪取。その後名人戦では9連覇を含む通算15期獲得しました。中原先生は最後の名人失冠後もA級に在籍しましたが、52歳の時に降級。永世名人がA級から降級するのは初の事態であり「事件」とも呼ばれました。その後はB級1組で2期指して、フリークラスに転出しました。

 

加藤一二三九段(62歳)

第9期順位戦から参加。史上初の中学生棋士としてデビューすると毎年昇級を重ね、19歳でA級。20歳で名人挑戦権を獲得するなど最年少記録を次々と打ち立てました。しかし名人を獲得したのは42歳の時、中原先生との「十番勝負」の時でした。順位戦では長き渡り活躍し、A級には還暦を越えても在籍し、通算在籍数は大山先生に次ぐ36期。その後も衰えぬ闘志で現役を長く続け、最年長記録と次々と打ち立てました。

 

青野照市九段(51歳)

第29期順位戦から参加。A級から2回目の降級後、47歳でA級への復帰を決めます。加藤先生の降級後、A級では30代前半の羽生世代が大半を占めていましたが、その中で一人50代として奮闘しました。青野先生は対振り飛車における居飛車の「鷺ノ宮定跡」、今や先手番横歩取りの主流戦法である「青野流」で升田幸三賞を受賞。また一手損角換わりの先駆者となるなど序盤巧者の一人としても有名です。 

 

・高橋道雄九段(52歳)

第40期順位戦から参加。高橋先生は、A級で3度目の降級後、48歳でA級への復帰を決めます。復帰後はA級最年長ながら、50歳の時はA級2位の成績を残すなど、50代を越えてなお奮闘しました。高橋先生は矢倉と横歩取り△8五飛車戦法を得意としており、「地道流」の棋風で知られています。またアニメやアイドルにも精通しており、一時期テレビ番組にも数多く出演していました。

 

谷川浩司九段【十七世名人有資格者】(51歳)

第36期順位戦から参加。史上二人目の中学生棋士としてデビュー。初参加のC級2組は昇級を逃しますが、翌年から毎年昇級。A級も1期目で挑戦権を獲得し、加藤名人(当時)から名人の座を奪い、21歳での史上最年少名人となりました。谷川先生はその後も名人戦で中原先生や米長先生、羽生世代の棋士名人戦の舞台で戦いますが、51歳の時、A級から降級。中原先生に次ぐ永世名人の降級は再び「事件」と言われました。 

 

佐藤康光九段【永世棋聖有資格者】(現在50歳)

第46期順位戦から参加。27歳でA級に昇級するとA級2期目で名人挑戦権を獲得。谷川浩司名人(当時)を破り、名人の座に就くと翌年も防衛。連覇を果たしました。佐藤先生は名人失冠後、一度A級から降級しますが、即A級に復帰。現在までA級の座を守り続けており、今期もA級最年長となります。将棋連盟の会長と激務の中、誰も真似できない序盤戦術はファンを虜にしています。

 

羽生善治九段【永世七冠有資格者】(現在50歳)

第45期順位戦から参加。史上3人目の中学生棋士としてデビューすると23歳で名人を獲得。その後も名人戦では森内俊之九段と幾度となく対戦。羽生先生と森内先生しか名人の座に就いていないという期間が長らく続きました。37歳の時には十九世名人の資格を獲得。その10年後には永世竜王の資格も獲得し、史上初の永世七冠となりました。

 

以上のようになっています。

50代でのA級を達成されたのは23名となっています。

年齢順で見てみると

1位大山康晴十五世名人(69歳)

2位加藤一二三九段(62歳)

3位土居市太郎名誉名人(61歳)

3位升田幸三実力制第四代名人(61歳)

3位花村元司九段(61歳)

6位塚田正夫名誉十段(60歳)

6位有吉道夫九段(60歳)

8位金易二郎名誉九段(56歳)

9位丸田祐三九段(55歳)

9位二上達也九段(55歳)

 

このようになっています。

50代でA級というのは凄い記録ですが、60代、還暦を越えてもA級に在籍した棋士も7名おられました。

名だたる棋士ばかりです。皆様は何人知っていましたか?

 

さて今期の順位戦も進行中です。これからの順位戦も見守っていきましょう!