羽生善治先生の七冠が再び噂された日①

どうもstsです。

お久しぶりです。本日のテーマは「将棋」です。

将棋界では全冠独占という偉業があります。藤井聡太竜王名人が昨年八冠独占を果たしたのは記憶に新しいですよね。その前の全冠独占者といえば現・日本将棋連盟会長、羽生善治九段。羽生先生が七冠独占達成後、再び七冠独占か?と囁かれる時期は存在しています。

今回はこれをテーマに振り返ってみたいと思います。

それではさっそくどうぞ!

 

まず一つ目は2000年度。2000年度に入った時点での当時のタイトルホルダーはこちら。

佐藤康光名人

藤井猛竜王

羽生善治四冠(王位・王座・棋王・王将)

谷川浩司棋聖

この時代は、連覇が多く、佐藤先生は名人を2連覇中、藤井先生も竜王を2連覇中、羽生先生に至っては王位を7連覇中、王座を8連覇中、棋王を10連覇中、王将を5連覇中と棋聖以外のタイトルはなかなか変動が起きていない時代でした。

 

しかし2000年度、名人戦丸山忠久八段(当時)がフルセットの末佐藤名人(当時)から名人を奪取し、実力制十一人目の名人になると、棋聖戦では羽生四冠(当時)が谷川棋聖(当時)から棋聖をこちらもフルセットの末奪取。五冠への復帰を決めます、タイトルホルダーは以下の通りになります。

丸山忠久名人

藤井猛竜王

羽生善治五冠(棋聖・王位・王座・棋王・王将)

ちなみにこの3名の棋士は、昭和45年9月生まれの棋士。約3週間の間に生まれた棋士だけでタイトルを独占するという初の出来事が発生していました。

※当時の将棋年鑑。当時のタイトルホルダー4人が表紙を飾っています。

 

王位戦では、羽生先生が谷川先生の挑戦を退けると、王座戦では藤井竜王が挑戦者になり、竜王戦では羽生五冠が挑戦者となります。この戦いはタイトル戦の時期が重なることもあり、「十二番勝負」といわれました。

王座戦竜王戦も一進一退の攻防が続きますが、日程上先に終わったのは王座戦、フルセットの末、羽生王座が防衛。これで王座戦9連覇となります。

 

一方の竜王戦、こちらもフルセットまでもつれる大激戦。もしこの竜王を奪取すれば羽生先生は六冠となり、残るタイトルは名人だけとなります。しかも羽生先生は七冠独占を阻まれた95年度の王将戦以外、挑戦したタイトルは全て奪取していました。

この竜王戦のシリーズ、藤井システムを駆使する藤井竜王に対して、羽生五冠がどのような対策で挑むかが注目されましたが、羽生先生は急戦を多用。しかし最終局は持久戦を採用し、穴熊を示唆します。もちろん藤井竜王藤井システムの構えを見せており、最終局でついに頂上決戦の構図となりました。

 

結果は周知の通り、「一歩竜王」とも呼ばれる序盤に突き捨てられ、放置されたいた歩が最後に取られてピッタリ決まるという劇的な棋譜で藤井竜王が勝利。羽生先生の六冠を阻み、史上初となる竜王戦三連覇を果たしました。

 

羽生先生はその後、棋王と王将を奪取し、2000年度を終えます。2001年度に入り、棋聖を奪われ、四冠に後退しますが、秋の竜王戦で藤井先生にリターンマッチし、見事奪取。ここで五冠に復帰するものの、王将戦で佐藤九段に王将を奪われ、四冠に後退し、七冠とはなりませんでした。

 

以上となっています。

五冠まで到達し、六冠目の挑戦権獲得となると、必然的に七冠への注目度は高まります。大車輪の活躍を見せた2000年度の羽生先生の成績は、

89局 68勝21敗 0.764 最多連勝14連勝

と記録四部門を独占。対局数、勝ち数に至っては現在も破られていない歴代最多記録を更新するというおまけつきでした。

圧倒的な強さを誇る羽生先生とそれを阻む振り飛車党の藤井先生が活躍する世紀末の時代のお話でした。

ではまた!

 

※参考文献

・『平成将棋名局百番』(マイナビ出版)

平成将棋界の名局100局をまとめた1冊。棋譜解説だけでなく当時の時代背景なども解説されており、将棋ファン必読の一冊です。