平成将棋界、角換わりの歴史

どうもstsです。

本日のテーマは「将棋」です。

先日、平成将棋界の矢倉を振り返るというテーマで記事をあげたところ、思ったよりも

反響があったので今回は角換わりについて取り上げたいと思います。

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角換わりといえば序盤早々から角を交換した後は、銀を様々な形に前で繰り出していき

、持ち駒の角を組み合わせて様々な攻めを展開する戦法。古くから定跡研究は進められ、戦前から戦後は木村義雄十四世名人、昭和から平成に駆けては谷川浩司十七世名人、そして令和では藤井聡太竜王などトップ棋士がエース戦法として使ってきた戦法です。

今回も戦法別に振り返ってみたいと思います。

それではさっそくどうぞ!

 

棒銀

銀を3八→2七→2六と棒のように直線的に攻める戦法。「腰掛け銀に強く、早繰り銀に弱い」といわれた。攻めがわかりやすく、数の攻めの代表として取り上げられることも多い。初心者からは絶大な人気を誇る。

先手番では平成初期に時折見かけ、森内俊之先生(新人王戦、対羽生善治先生戦)や羽生善治先生(NHK杯加藤一二三先生戦)も若手時代に指している。しかし攻めが単調で対策も整備され始め、平成初期以降はパタリと見かける回数が少なくなり、平成中期頃から定跡も止まっている印象。

一方後手番では平成全体を通して時折指されていた。永瀬拓矢先生も後手番で多用している時期があった。平成の将棋界は角換わりでは腰掛け銀が主流であったため相性の良い棒銀を後手側が選択することがあった。

 

【早繰り銀】

銀を3八(4八)→3七→4六と手早く繰り出して行く戦法。「棒銀に強く、腰掛け銀に弱い」と言われた。こちらも攻めがわかりやすく、アマチュアでは昔から指され続けている戦法。

銀を繰り出していったかと思いきや引いたり、交換した角を打って力を溜めたり、はまたまた銀を繰り替えて中央から活用するなど、独自の押し引きが早繰り銀の一番の魅力。ただし、腰掛け銀と組み合わせて銀を追い返されたり、十字飛車の変化などもあり、プロ間では見かける回数はかなり少なかった。

しかし平成の終わり頃から研究が進み、一気にブレイク。令和に入った現代では腰掛け銀に引けを取らない地位を確立。また△3三金型早繰り銀といった新たな戦法も生まれ、まだまだ広がりを見せ続けている。

 

 

【腰掛け銀(▲5八金、▲2八飛型)】

3八(4八)→4七→5六と最終的に5筋に登りつめ、歩に腰掛けているように見える戦法。「早繰り銀に強く、棒銀に弱い」と言われた。プロ将棋界の角換わりは常に腰掛け銀が中心で動いてきた。

平成の間は▲4五歩から歩を連続で突き捨てて始まる仕掛け(いわゆる「42173」「世に伊奈さん」)から先に仕掛ける先手が有利というのが常に定説だった。そんな中平成中頃から飛車を見捨てて攻め続ける「富岡流」が誕生。これにより先手勝ちが結論づけられた。

後手はかねてより、先手からの7筋の桂頭攻めに苦労しており、あえて桂馬を跳ねないといったり、9筋の端歩を受けずに先に先攻するという対策を編み出すも苦戦は絶えなかった。

 

 

【一手損角換わり】

腰掛け銀は同形である以上、先に仕掛けられる先手が有利。この課題を打ち破るべく生まれたのが一手損角換わり。一手損をする効果は飛車先の歩。一手損するため、後手の飛車先は8四で止まっている。これにより後手も8五に桂馬を跳ねる余地ができ、7筋からの桂頭攻めを緩和。新たに後手も攻める地平線が開けた。

先手としてはせっかく一手得したのに、腰掛け銀のような長期戦になっては手得が活きない。何よりむしろ手損を上手く活かされている。ということで一手損角換わりに腰掛け銀で攻めかかるのは得策ではないとなる。

そこで復活したのが腰掛け銀の影に隠れていた棒銀と早繰り銀。ゼロ手損でも有効な戦法なのだから一手得しているならなおさら攻めが刺さるだろうという理屈。今なお有力な対策となっている。

 

 

【腰掛け銀(▲4八金、▲2九飛型)】

コンピュータソフトの影響で生まれた新たな腰掛け銀の新たな形。金を4八に構えて、下段飛車という現代将棋を象徴するバランス最強の形。新たな形の誕生により角換わり腰掛け銀は新たなステージに突入。一時期はこの新型角換わりばかり指され、「親の顔より見た角換わり」という言葉が生まれたほど。

左右両方に逃げ込め、下段飛車により相手からの角などの打ち込みにも強いという圧倒的なバランス力が最大の持ち味。今やプロアマ問わず人気の戦法で、ソフトの影響もありかなり深いところまで掘り下げられている。

ただ個人的に一つ気になるのが、「▲4八金▲2九飛型」と呼ばれるこの形。これといった名称がない。矢倉の▲4六銀▲3七桂型のように人気はあるのに、名前がつかないままけてしまわないか心配。

 

 

 

【▲4五桂急戦】

「▲4五桂ポン」「ポンポン桂」ともいわれる戦法。玉の囲いは最低限(最低限というより王手飛車がかからないな形)にして、桂馬を4五にいきなり跳ねて、飛車と持ち駒の角を活かして一気に攻めかかる戦法。

形自体は昔から存在していたものの、やはり単騎の桂跳ねは余りにも時期尚早でさすがに成立しないというのが大半の見方で決して流行りはしなかった。

しかし平成後期にコンピュータソフトの影響もあり、戦法として一気にブレイク。後手の対策や先手の攻め口など形は変えながら、水面下で深く研究され続けている。現在はプロ界で見かける回数は減ったものの、この戦法の登場以前と以後で角換わりの序盤における駒組みに対する神経の使い方が明らかに変わった。これからもどこかしらで登場する機会があるかもしれない。

 

 

 

【右玉】

名前の通り、居飛車なのに玉を右に囲うという一風変わった戦法。アマチュアの中ではこの戦法だけに特化した人も昔から多数おり、根強い人気がある。

プロ間では、やはり玉が薄いからか「固さが正義」と唄われた平成の将棋界においては指されることはほとんどなかった。出現する時は、先手番で1筋(後手番なら9筋)の端の位を取れた時に、その取れた位の広さを活かすべく右玉を選んでいた人が多い印象があり、積極的に狙うイメージではなかった。

しかしコンピュータ将棋の影響でバランス重視の将棋が流行すると、それに伴い右玉を見かける回数は一気に増加。アマ間でかねてより指し続けたきた人からすれば「やっと時代が追いついた」と思う人も居たのでは。また△7二金型の羽生式右玉も近年生まれるなどまだまだ鉱脈は広がっている。

 

 

以上のようになっています。

平成のプロ間ではやはり腰掛け銀が本流という印象があり、平成の角換わりの実戦はほとんど腰掛け銀であった気がします。角換わり腰掛け銀を巡る定跡そのものが平成角換わりの歴史でした。

中でも角換わり腰掛け銀の「富岡流」は先手勝ちとはっきりとした珍しいパターンでした。ゴキゲン中飛車の超急戦ですら結論が出ない中、角換わり腰掛け銀という複雑な形で一つの結論がしかもソフトに頼らない人力の時代で出たのは、今となってはよりその凄さが伝わります。

平成の終わりごろからは▲4八金▲2九飛型と▲4五桂急戦がほぼ同時期に大ブレイク。中でも▲4五桂急戦は、この形なら成立する、この形なら成立しないといったところで深堀りされ、序盤の一手一手に神経を使うように、一手一手に意味を持たせました。

令和に入り圧倒的な人気を誇るようになった角換わり。これからの戦法の動きにも要注目です!

ではまた!

 

※過去に平成将棋をテーマに取り上げた記事は以下もあります。是非併せてご覧ください。

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