将棋界、歴代名人

どうもstsです。

 

今回は将棋に関する記事です。

先日、第81期名人戦第5局が行われ、藤井聡太竜王渡辺明名人に勝利して名人を奪取。史上最年少となる20歳での名人誕生は、将棋界の枠を超えて大きな話題を呼びました。

しかも今年は将棋の盤のマス目と同じ第81期名人戦でした。将棋界では「盤寿」と呼ばれる記念すべき戦いでしかも、名人と竜王による「竜名戦」。将棋界最高峰の戦いが見れたのはファンとして最高でしたね。

ということで今回は歴代の名人を順番に振り返ってみました。

それではさっそくどうぞ!

 

さっそくどうぞ!

 

 

木村義雄十四世名人

 世襲制の名人が終わり、実力制の名人戦が始まると初代名人に就いたのは木村義雄八段でした。初代名人に就くと以後5連覇。このときの順位戦は2年間かけて行っていたため実質10年名人の座に就き「常勝将軍」と呼ばれました。その後、名人は奪われますが、後に復位。さらに3連覇した後に大山先生に名人を奪われると「良き後継者を得た」という言葉を残し引退。「美しき去り際」とも言われました。引退後は将棋界の普及・発展に貢献。1986年に将棋の盤の升目と同じ81歳で亡くなれました。

第1期:木村義雄(初)

第2期:木村義雄(2期目)

第3期:木村義雄(3期目)

第4期:木村義雄(4期目)

第5期:木村義雄(5期目)

木村義雄―将棋一代 (人間の記録)

木村義雄―将棋一代 (人間の記録)

 

 

 

塚田正夫実力制第二代名人

10年続いた木村名人時代を止めたのは「詰め将棋の大家」塚田正夫八段でした。実力制では二代目の名人となりした。翌年は後に永世名人となる大山八段の挑戦を退け2連覇を達成しました。塚田先生は名人失冠後はA級に在籍し、一度降級しますが、翌年復帰。その後再びA級から降級し、B級1組に在籍のまま63歳で亡くなりました。塚田先生は没後、名人2期、そして抜群の成績ということで「実力制第二代名人」の称号が贈られました。

第6期:塚田正夫(初)

第7期:塚田正夫(2期目)

第8期:木村義雄(6期目)

第9期:木村義雄(7期目)

第10期:木村義雄(8期目)

塚田の新詰将棋 (1977年) (必勝将棋シリーズ)

塚田の新詰将棋 (1977年) (必勝将棋シリーズ)

 

 

 

大山康晴十五世名人

木村先生の後継者として時代を彩ったのは「将棋界の巨人」大山康晴名人でした。木村先生から名人を奪うと5連覇。その後一度は奪われますが、その後復位し、なんと驚異の13連覇。この時は全冠独占を5年続けるなど圧倒的な強さでした。また名人13連覇、通算18期獲得というのも歴代1位の記録です。名人失冠後はA級順位戦に還暦を越えてなお在籍、ガンの手術も乗り越えA級で戦い、「不死鳥」とも呼ばれました。大山先生は1991年A級に在籍のまま69歳で亡くなりました。

第11期:大山康晴(初)

第12期:大山康晴(2期目)

第13期:大山康晴(3期目)

第14期:大山康晴(4期目)

第15期:大山康晴(5期目)

大山康晴名局集

大山康晴名局集

 

 

 

升田幸三実力制第四代名人

大山先生の最初の5連覇を止めたのは、大山先生の兄弟子にあたる升田幸三二冠でした。結果は見事奪取し、当時のタイトル3つ全て独占する形となりました。また升田先生はA級順位戦でも圧倒的な強さを誇り、8回名人の挑戦権を獲得。大山先生とは名人戦だけで9回顔を合わせ、A級だけの勝率で7割を越えていました。升田先生は1979年にA級に在籍のまま引退。1991年に亡くなりました。また升田先生は名人2期獲得で抜群の成績ということで引退後に「実力制第四代名人」の称号で呼ばれています。

第16期:升田幸三(初)

第17期:升田幸三(2期目)

第18期:大山康晴(6期目)

第19期:大山康晴(7期目)

第20期:大山康晴(8期目)

第21期:大山康晴(9期目)

第22期:大山康晴(10期目)

第23期:大山康晴(11期目)

第24期:大山康晴(12期目)

第25期:大山康晴(13期目)

第26期:大山康晴(14期目)

第27期:大山康晴(15期目)

第28期:大山康晴(16期目)

第29期:大山康晴(17期目)

第30期:大山康晴(18期目)

升田幸三名局集 (名局集シリーズ)

升田幸三名局集 (名局集シリーズ)

 

 

 

中原誠十六世名人

大山名人の13連覇を食い止めたのは「自然流」の棋風でお馴染み中原誠二冠でした。この時は第6局、第7局と振り飛車を採用しての奪取でした。中原先生は名人を奪うと、大山先生の後の時代を受け継ぐかのようにその後9連覇を達成します。その後も名人に2度復位し、通算で名人を15期獲得しました。中原先生は52歳のときA級から降級。永世名人がA級から降級するのは初めてで「事件」とすら言われました。その後はB級1組で2期指しフリークラスへ。2009年には引退しました。

第31期:中原誠(初)

第32期:中原誠(2期目)

第33期:中原誠(3期目)

第34期:中原誠(4期目)

第35期:中原誠(5期目)

第36期:中原誠(6期目)

第37期:中原誠(7期目)

第38期:中原誠(8期目)

第39期:中原誠(9期目)

中原誠名局集 (プレミアムブックス版)

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 ⑥加藤一二三九段

最強を誇っていた中原名人の連覇を止めたのは、今や「ひふみん」の愛称で国民的人気を誇る加藤一二三九段でした。このシリーズは、フルセットまでもつれさらに、1持将棋・2千日手という今なお語り継がれる「十番勝負」を制し、悲願の名人となりました。また42歳で名人獲得というのは長らく最年長記録でした。加藤一二三先生はその後もA級で長らく戦い、還暦を越えてなおA級に在籍し続け、77歳で引退するまで変わらぬ闘志で対局を続けました。

第40期:加藤一二三(初)

【Amazon.co.jp限定】加藤一二三名局集

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谷川浩司十七世名人

十番勝負の翌年挑戦者としてきたのは「光速流」でお馴染み谷川浩司八段でした。見事奪取し、21歳で名人に輝きます。これは長らく、名人最年少記録となっていました。その後は中原先生との名人の覇権争いを繰り広げ、97年には羽生名人を破り十七世名人の資格を得ました。その後も名人戦には幾度となく登場し、中原先生~森内先生までの歴代名人と名人戦で戦いました。。谷川先生は51歳の時にA級から降級。現在はB級2組に在籍中です。光速の寄せを武器にA級で戦う姿をファンは待ち望んでいます。

第41期:谷川浩司(初)

第42期:谷川浩司(2期目)

第43期:中原誠(10期目)

第44期:中原誠(11期目)

第45期:中原誠(12期目)

第46期:谷川浩司(3期目)

第47期:谷川浩司(4期目)

第48期:中原誠(13期目)

第49期:中原誠(14期目) 

第50期:中原誠(15期目)

 

 

米長邦雄永世棋聖

 中原名人の2度目の復位後、連覇を3で止めたのは、若手時代からライバルとして知られた米長九段でした。米長先生は名人だけは何度挑戦しても獲得できず「悲運の棋士」とさえ呼ばれていました。しかし7度目の名人挑戦権を得ると、見事ストレートで奪取。49歳11ヶ月での名人獲得は今も破られていない最年長記録です。その後名人失冠は後もA級に在籍しましたが、54歳の時にA級から降級。そのままフリークラスへ。2003年には引退し、2013年に亡くなりました。

第51期:米長邦雄(初)

米長邦雄の本

米長邦雄の本

 

 

 

羽生善治九段(十九世名人有資格者)

「50歳名人」誕生の翌年、挑戦者として出てきたのは「将棋界のスーパースター」羽生善治四冠でした。この当時は七冠達成前でいわゆる「上座事件」など色々騒がれていた時でした。結果は見事奪取で五冠に到達。七冠へと歩みを進めていきました。その後は名人戦の舞台に幾度なく登場し、森内俊之九段と2人で名人を長らく分け合いました。羽生先生は51歳のときにA級から降級。現在はB級1組に在籍中です。A級の復帰をファンは待ち望んでいます。

第52期:羽生善治(初)

第53期:羽生善治(2期目)

第54期:羽生善治(3期目)

第55期:谷川浩司(5期目)

 

 

佐藤康光九段(永世棋聖有資格者)

谷川浩司九段が十七世名人の資格を得た翌年、挑戦者として名乗りを上げたのは「緻密流」で知られる佐藤康光八段でした。このときは今とは違い、本格派居飛車党でした。結果は、見事フルセットで名人を奪うと翌年も谷川先生のリターンマッチをはねのけ、2連覇を達成しました。佐藤康光先生は前期53歳というA級最年長として戦うも無念の降級。丸太を振り回すかのような、誰にも真似できない独創的な棋風で、A級カムバックを懸けて今期も戦います。

第56期:佐藤康光(初)

第57期:佐藤康光(2期目)

佐藤康光の矢倉 (佐藤康光の将棋シリーズ)

佐藤康光の矢倉 (佐藤康光の将棋シリーズ)

 

 

 

⑪丸山久九段

 佐藤康光先生の2連覇の後、挑戦者として現れたのは「激辛流」でお馴染み丸山忠久八段でした。このときの名人戦は丸山八段が先手なら角換わり、後手なら△8五飛車戦法と佐藤名人が得意戦法を受けて立つといつシリーズでした。結果はフルセットの末見事奪取。翌年は谷川先生の挑戦も跳ね返し2連覇を果たしました。丸山九段は41歳の時にA級から降級。前々期B級1組への復帰を決めるも、前期期B級2組へ降級。何度でも上のクラスに戻ってきて、またA級に返り咲く姿をファンは期待しています。

 第58期:丸山忠久(初)

第59期:丸山忠久(2期目)

 

 

森内俊之九段(十八世名人有資格者)

丸山名人の連覇を止めたのは、「鉄板流」で知られる森内俊之八段でした。森内先生は長らくタイトルとは無縁で「無冠の帝王」とすら呼ばれました。しかし丸山名人から奪取すると、名人戦では無類の強さを発揮。さらに小学生からのライバル、羽生先生と名人戦で幾度となく顔を合わせ、羽生先生よりも先に永世名人の資格を得ました。しかし森内先生も46歳の時にA級から降級。フリークラスへと転入し、現在も在籍中です。また名人戦以外のタイトル戦で戦う姿を見たいファンは多いです。

第60期:森内俊之(初)

第61期:羽生善治(4期目)

第62期:森内俊之(2期目)

第63期:森内俊之(3期目)

第64期:森内俊之(4期目)

第65期:森内俊之(5期目)

第66期:羽生善治(5期目)

第67期:羽生善治(6期目)

第68期:羽生善治(7期目)

第69期:森内俊之(6期目)

第70期:森内俊之(7期目)

第71期:森内俊之(8期目)

第72期:羽生善治(8期目)

第73期:羽生善治(9期目)

 

 

佐藤天彦九段(実力制第十三代名人有資格者)

長らく続いた羽生先生と森内先生の名人時代にストップをかけたのは、「貴族」のニックネームで知られる佐藤天彦八段でした。当時、得意としていた後手番での横歩取りを駆使して羽生名人に挑むと見事奪取。そこから3連覇を果たしました。また名人在位中は、電王戦にて最強コンピュータ将棋ソフトponazaと戦うなど、歴史的な戦いも名人として経験しました。佐藤天彦九段は現在A級。永世名人(二十世名人)まであと2期と迫っています。

第74期:佐藤天彦(初)

第75期:佐藤天彦(2期目)

第76期:佐藤天彦(3期目)

天彦流 中盤戦術―「局面の推移」と「形勢」で読みとく (NHK将棋シリーズ)

天彦流 中盤戦術―「局面の推移」と「形勢」で読みとく (NHK将棋シリーズ)

 

 

 

豊島将之九段

佐藤天彦先生の名人連覇を3で止めたのは、「きゅん」の愛称でファンにはお馴染み、豊島将之二冠でした。プロ入り当初から「羽生と谷川を足して2で割った棋風」、「未来のA級棋士」と注目されるもタイトル獲得にはなかなか届かず。しかし2018年に初タイトルを獲得すると年度末にはA級で1位。勢いそのままに佐藤天彦名人からストレートで名人を奪取しました。豊島名人はコンピュータを積極的に取り入れた研究方法を取り入れており、研究範囲まではタイトル戦でも序盤から時間を使わず指すのが特徴です。

第77期:豊島将之(初)

名人への軌跡

名人への軌跡

 

 

 

渡辺明九段(実力制第十五代名人有資格者)

豊島新名人が誕生した翌年挑戦者として現れたのは、「魔王」の異名で知られる渡辺明三冠でした。渡辺先生は史上4人目の中学生棋士としてプロ入り。25歳の時にA級に到達するも、なぜか名人戦の挑戦権は獲得できず。そして2017年度にはA級から降級する事態に見舞われました。しかしそこからB級1組で全勝してA級に復帰。さらにA級でも全勝で挑戦権獲得。名人戦では新型コロナウイルスの影響で日程がずれ込むも見事奪取。見事なV字回復を果たし、念願の名人獲得に至りました。

第78期:渡辺明(初)

第79期:渡辺明(2期目)

第80期:渡辺明(3期目)

 

 

藤井聡太名人

渡辺先生の名人連覇を3で止めたのは、「令和の天才」藤井聡太竜王でした。藤井先生は史上5人目となる中学生棋士としてプロ入り。数々の最年少記録を塗り替え、順位戦ではC級1組で1期足踏みした以外は毎年昇級。A級でも1期目でプレーオフの戦いも制し、挑戦権獲得となりました。藤井先生は初の名人戦の舞台でも安定した強さを発揮し、4勝1敗で奪取。谷川先生の記録を40年ぶりに更新する最年少名人に就くとともに、史上2人目七冠王。夢の八冠独占に向けて戦いは続きます。

第81期:藤井聡太(初)

 

 

以上のようになっています。

こうやって見てみると改めて名人戦の歴史であったり、タイトルの重みというものを感じますね。

ではまた!

 

※歴代最年少名人記録、歴代王将をまとめた記事はこちら。こちらも併せてご覧ください。

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