どうもstsです。
3月1日、第77期A級順位戦最終一斉対局が行われました。
「将棋界の一番長い日」、また近年では「名人戦第0局」ともいわれるA級最終局は、豊島将之二冠が8勝1敗の成績で名人挑戦権を獲得しました。
豊島二冠は、昨年開幕から5連勝という絶好のスタートを切るものの後半失速してしまい、プレーオフの末挑戦権を逃していました。今期も開幕5連勝のあと負けを喫しましたが、その後も勝ち続け今年は挑戦権を掴み取りました。
豊島二冠は、王位・棋聖と合わせた三冠に向けてのタイトル戦となります。
ということで今回は過去に将棋界で三冠を達成した棋士を調べてみました。
さっそくどうぞ!
①升田幸三実力制第四代名人
三冠達成:1957年(名人・九段・王将※全冠制覇)
将棋界で初の三冠を達成したのは、「新手一生」を掲げ今なおファンを魅了してやまない升田幸三実力制第四代名人です。
当時はタイトルが名人・十段・王将の3つしかなく、その全てを独占し三冠達成となりました。
②大山康晴十五世名人
三冠達成:1959年(名人・九段・王将※全冠制覇)
五冠達成:1962年(名人・十段・棋聖・王位・王将※全冠制覇)
升田先生が三冠達成した後に覇権を握ったのはその弟弟子にあたる「将棋界の巨人」、大山康晴十五世名人でした。
大山先生は、タイトルが4つに増えたときも四冠を独占、5つに増えたときも五冠独占と圧倒的な強さを誇り、タイトルを通算で80期獲得しました。
③中原誠十六世名人
三冠達成:1972年(名人・十段・棋聖)
五冠達成:1978年(名人・十段・棋聖・王位・王将)
長らく続いた大山先生の時代を取って代わるように現れたのは「棋界の太陽」中原誠十六世名人でした。
1972年に三冠達成するとその後タイトルを増やし大山先生以来となる五冠を達成。当時はタイトルが6つであったためラスト1つとなる棋王に挑戦しましたが、加藤一二三棋王(当時)に阻まれ夢の全冠独占とはなりませんでした。
中原先生が六冠独占失敗後、タイトルはばらけ6人で6タイトルを分け合います。その中で「泥沼流」米長邦雄永世棋聖は、じわじわタイトルを増やし三冠となります。
そして勢いそのままに中原先生から十段も奪取し、「世界一将棋の強い男」とも称されました。
⑤谷川浩司九段
三冠達成:1988年(名人・王位・棋王)
米長先生が四冠達成後、7人で7大タイトルを分け合うという戦国時代に突入します。そこで抜け出したのは、「光速の寄せ」でお馴染み、谷川浩司九段でした。
三冠達成後の4年後よ1992年の後期の棋聖戦では棋聖を奪取し、四冠に到達し最優秀棋士賞を受賞しました。
⑥羽生善治九段
七冠達成:1996年(竜王・名人・棋聖・王位・王座・棋王・王将※全冠独占)
谷川先生が四冠を達成した年の竜王戦に挑戦者としてきたのは、今では誰もが知る存在「将棋界のスーパースター」羽生善治九段でした。
結果は羽生二冠が奪取し、三冠となり、谷川先生とタイトルの数で逆転をすることとなり、。さらにその後もタイトルを増やし続け1996年には夢の七冠達成しました。
⑦森内俊之九段
七冠達成後は、羽生先生を中心に将棋界が回りますが、2003年からは、「鋼鉄の受け」で知られる森内俊之九段が活躍します。
竜王・王将・名人と全て羽生先生から連続で奪取し、三冠達成の翌日の毎日新聞で「森内に死角なし」の見出しは非常に印象に残っています。
⑧渡辺明二冠
2012年の時点では、タイトル7つの内6つを4人の羽生世代の棋士で占めていました。そこで一気に三冠まで登り詰めたのは「将棋界の冬将軍」渡辺明二冠でした。
この時は羽生先生も当時、王位・王座・棋聖の三冠で三冠が二人並び立っているという将棋界初のことで、森内名人と合わせて「三霊獣」とも言われました。
以上が過去に三冠を達成した棋士8名です。
いずれも名棋士ばかりですね。
さあ4月から始まる名人戦、佐藤天彦名人が4連覇を達成し、二十世名人に王手を掛けるのか、それとも豊島二冠が三冠を達成して名棋士への中に名を残すことができるのか。
非常に楽しみです!
※追記(2021年12月5日)
豊島二冠(当時)はその後名人を奪取して、史上9人目の三冠達成となりました。