どうもstsです。
本日のテーマは「笑点」です。
笑点は1966年から始まった日本を代表する演芸番組。今年は60周年の記念イヤーです。
60周年の笑点、歴代の司会者はご存知でしょうか。
ということで今回は笑点の司会者をまとめてみました。
さっそくどうぞ!
初代司会者:(七代目)立川談志
司会の期間:1966年~1969年
番組の初代司会を務めたのは、立川談志師匠。現メンバーの立川晴の輔師匠の大師匠(師匠の師匠)にあたる方です。番組の企画・構成から深く関わり、大喜利のコーナーの形を築き上げました。
持ち味でもあるブラックユーモアを活かした掛け合いは、当時には早すぎたのか、メンバーとソリが合わず、メンバー総入れ替えなども起こりました。
その後も司会者として番組を支えるも、自身の衆議院議員選挙と重なったこともあり、1969年番組を卒業しました。
2代目司会者:前田武彦
司会の期間:1969年~1970年
『夜のヒットスタジオ』で司会を務め、「マエタケ」の愛称で親しまれた前田武彦氏が、談志師匠の推薦もあり1969年、2代目司会者に就任。
この時期には「大喜利ナンバーワン」と称して、司会者を真ん中に置いて上手と下手に分かれて3対3のチーム戦方式で大喜利を行うという新たな形式で行われました。この形式は現在でも年末の放送で行われることがあります。
しかしメンバー間との考えの相違や自身の人気による仕事の忙しさもあり、1年で番組を降板することとなりました。
3代目司会者:(初代)三波伸介
司会の期間:1970年~1982年
前期の司会時代、北海道の収録で前田武彦さんが来れなる事態が発生。演芸コーナーに出演していた三波さんが急遽代理司会を務めることに。座布団運びを伊藤四朗さんと戸塚睦夫さんが務めました。これが好評を博し、後に3代目司会者に抜擢されました。
現在でも行われている、オープニングは客席に司会者が入って始まる、大喜利は舞台上手からメンバーが登場するという流れはこの三波さん司会時代から生まれました。
1982年、三波さんは自宅で急逝。昭和の時代から笑点を見ている方は、この三波さん司会の時代や思い出も多いでしょう。
4代目司会者:(5代目)三遊亭圓楽
1983年~2006年
笑点第1回からのメンバー。現メンバーの三遊亭好楽師匠の師匠にあたります。三波さんの司会時代まで回答者として出演を続けるも、落語に専念するため番組を卒業していました。
しかし先述の三波さんの急逝に伴い、司会者として白羽の矢が立ち番組に復帰。司会者として最長の23年務めました。大らかで豪快な司会は人気を博しました。
2005年からは自身の体調悪化により休演することが多くなり。40周年特番を機に番組を卒業しました。
5代目司会者:桂歌丸
司会の期間:2006年~2016年
談志師匠、圓楽師匠と同じく、第1回からのメンバー。圓楽師匠の休演期間、代理で司会を務めていた歌丸師匠がそのまま5代目司会者として正式に就任しました。
メンバーの回答に対して、さらに返す形で笑いを大きくしたり、被り物をかぶって笑いを生んだり、楽太郎師匠(後の6代目円楽師匠)とのバトルは番組を代表する名物に。また、全員の全部持っていくというフレーズは大きな衝撃を与えました。
2016年、自身の体力面の問題もあり、番組50周年を機に番組を卒業。「終身名誉司会」としてに関わり続けました。
6代目司会者:春風亭昇太
司会の期間:2016年~現在
現在の笑点の司会者。歌丸師匠が5代目司会者となり、空いた回答者の席に座る形で加入した昇太師匠が、歌丸師匠卒業後、6代目司会者として抜擢されました。
元々は演芸コーナーにて不定期で行われていた「若手大喜利」の司会者を務めており、番組とは関わりがあり、その腕も買われ、6代目司会者に就任。
回答者時代は独身であることをネタにしていたものの、司会就任後には、結婚。また落語芸術協会の会長にも就任。笑点だけでなく落語界全体も引っ張る存在として活躍を続けています。
以上のようになっています。
昭和の時代の人なら三波伸介さん、平成の人なら圓楽師匠と歌丸師匠、令和の人なら昇太師匠が司会者としてのイメージが強いと思います。
そして昇太師匠ももう10年(!)笑点の司会を務められているということに驚きです。時が流れるのは早いものですね(汗)
先日、「テレビコメディパネル番組(週間)の最長放送」としてギネス世界記録にも認定され、話題となった笑点、これからも70年、80年、100年と目指して続いていってほしいです!
ではまた!





