MONSTER BOX世界記録樹立の歴史

どうもstsです。

 

今回もスポーツマンNo.1決定戦に関する記事です。

今回取り上げるのはMONSTER BOXの世界記録樹立の歴史です。

 

MONSTER BOXといえば、番組を代表する超巨大跳び箱を跳び越える競技で、世界記録は23段です。これはご存知の方も多いとは思いますが、初代世界記録はどこから始まり、そしてどのようにして23段につながったのか。

そしてその高さ誰が跳んだのか。世界記録樹立の歴史をまとめました。

さっそくどうぞ!

 

【1995年3月29日放送。第1回アマチュアスポーツマンNo.1決定戦。】

・ヴィタリー・シェルボ 20段初代世界記録

 

第1回のアマ大会。ここに参戦したのが1992年のバルセロナ五輪で6つの金メダルを獲得したベラルーシの体操界の絶対王者、ヴィタリー・シェルボさんでした。

当時の最高記録は野球の飯田哲也さん、体操の池谷幸雄さんが記録した16段でしたが、驚異的な高さでクリアします。さらに他の出場者の最高記録18段(記録したのはバーレボールの中垣内雄一さん、体操の白岩雅孝さん、池谷直樹さん、池谷幸雄さん。この18段が当時の日本新記録。)で終わる中、ただ一人19段を成功。そしてついには20段すら跳び越えてみせました。オリンピックでのゴールドメダリストとしての格の違いを見せつける結果となりました。

 この大会ではシェルボさんが、日本人以外で初の挑戦者となり、20段をマークしたため、当番組内ではこの記録が初代世界記録として扱われています。

 

 

【1995年10月放送。SPECIAL TRIAL~MONSTER BOX日本体育大学スペシャル~】

・長澤憲一 20段【世界記録】

池谷直樹 20段【世界記録】

 

シェルボさんの20段跳躍から3か月後、今度は日本体育界のスターを数多く輩出してきた日本体育大学で、体操界のエリート選手7人が世界記録を目指して挑戦しました。

いきなり過去の最高記録である16段からという異例のスタートで、なんと出場した7人全員が当時の日本記録である18段を成功。そして日本新記録なる19段まで5人がクリアします。そしてついに世界記録タイとなる20段へと到達。そしてこの高さを跳躍力に定評のあった長澤憲一さん、前回18段を跳んで日本記録保持者となっていた池谷直樹さんが成功。この二人が新たな世界記録保持者となりました。

この大会は池谷直樹さんの兄であり五輪メダリスト池谷幸雄さんも参戦。池谷幸雄さんは18段で終わり、弟の池谷直樹さんにとっては初めて兄に勝った瞬間でもありました。

 

 

【放送日不明。緊迫のモンスターボックス3人決戦。】

・長澤憲一 20段【世界記録】(21段失敗)

池谷直樹 20段【世界記録】(21段失敗)

 

前回新たに日本人が二人世界記録を達成したことを、シェルボさんに報告。すると再度挑戦することが決定。世界記録保持者3人のみでの対戦が実現します。

今回はまたしても16段からスタート。日本人二人が調子良く、クリアしていく中シェルボさんは不調。最初の16段から本来の跳躍ではありませんでした。そして高さはついに世界記録の20段へ。日本人二人はこの高さを成功させますが、シェルボさんは失敗。不調が最後まで響きました。そして高さは世界新記録の21段へ。しかし池谷さんは20段1回目で足を痛めたこともあり、21段へ挑戦せず棄権。長澤さん一人での世界新記録への挑戦となりましたが、失敗に終わりました。

ちなみにシェルボさんの初挑戦時は20段まで、前回の日体大スペシャルでは20段で打ち切りとなっており、今回の長澤さんは世界初の21段挑戦者となりました。

 

 

【放送日不明。跳び箱世界選手権】

池谷直樹 20段【世界記録】(21段失敗)

 

跳び箱で活躍するのはやはり体操選手が中心。ではオリンピックの陸上跳躍系種目の選手なるならどうだろう?ということで開催。当時の世界記録保持者や世界陸上金メダリストなど10名、そして世界記録保持者の池谷を加えての11名での開催となりました。

大抵の陸上選手が16段~17段で終わる中、気を吐いたのが110mハードルの選手、アレン・ジョンソンさんでした。ただ一人19段を越え、世界記録となる20段にも挑戦しました(結果は失敗。)そしてこの20段を唯一越えたのが世界記録保持者の池谷さん。実に3回連続となる世界記録20段成功者となりました。その後世界新記録となる21段にも挑戦しますが、こちらは失敗に終わりました。

この大会、池谷さんは陸上選手に混じって唯一体操選手として対戦。絶対に負けられないというプレッシャーの中での世界記録成功でした。

 

 

【1996年2月放送。跳び箱ワールドツアーinアメリカ】

・デビット・セントピア 21段世界新記録】(22段失敗)

 

跳び箱21段という世界新記録を求めて、MONSTER BOXはついに海を越えます。ロサンゼルスのデニスビーチに職業を問わずアスリート20名が集結。夢の世界新記録への挑戦が始まりました。

この出場者の中の3人が世界記録である20段を跳び越えるという快挙を成し遂げます。そして高さはついに世界新記録の21段へ。これを体操選手のデビット・セントピアさんが成功。すごくギリギリであり、ビデオ判定でもなかなか結果が出ず、体が当たったようにも見えましたが、服があたったのみということで世界新記録樹立となりました。他の20段成功者二人は21段失敗に終わりました。

セントピアさんはその後、さらなる高みを目指して22段にも挑戦。こちらは失敗に終わりました。

 

 

【1996年3月放送。跳び箱体操選手権in日本】

・長澤憲一 21段【世界記録】(22段失敗)

アメリカで開催していた同日、日本でも世界新記録を目指して挑戦。世界新記録を作るべく、日体大の選手が集結。まずは予選で18段に挑戦。これを成功した選手のみが決勝に進めるルールでした。

18段を跳んだ3名に加え、20段の自己記録を持つ長澤さん、池谷さんなどシード選手4名を加えた7名で挑みました。決勝は19段から始まるというハイレベルな戦いの中、20段を成功させたのはやはり長澤さんと池谷さん。そして世界記録となる21段へ。ともに21段1回目を失敗した後、長澤さんが2回目で成功。アメリカで世界新記録が誕生して数時間後の記録達成でした。池谷さんは失敗。世界記録保持者とはなりませんでした。

こちらはテレビの放送では長澤さん一人だけの挑戦となっており、他の挑戦していた選手はカットされていた模様です。

 

 

【1996年10月2日放送。アトランタ五輪メダリスト決戦。】

・ヴィタリー・シェルボ 22段世界新記録

・ヨー・ホンチュル 21段(22段失敗)

 

第3回アマチュア大会内での放送。アトランタオリンピック開催中にメダリストを集めて開催。アントランタ五輪の体操メダリスト11名に加え、世界記録保持者のデビット・セントピアさんを加えた12名での戦い。

20段を成功したのは3人。世界記録保持者セントピアさん、跳馬スペシャリストのヨーさん、そして元世界記録保持者のシェルボさん。この3人が世界記録へ挑戦。その結果ヨーさんとシェルボさんはクリアしましたがセントピアさんは失敗。そして世界新記録の22段。ともに1回目失敗。ヨーさんは2回目での跳躍で頂上で左手が滑り、無念の失敗。シェルボさんは体を折り畳むように越え、成功。世界新記録を樹立しました。

シェルボさんはアトランタ五輪では銅メダルに終わったものの、MONSTER BOXで世界新記録を樹立。世界記録保持者の座を奪い返した。

 

 

【1997年4月2日放送。跳び箱世界一決定戦。】

・ヨー・ホンチュル 23段世界新記録

・長澤憲一 22段(23段失敗)

 

第2回芸能人大会内での放送。自己記録21段で前世界記録保持の長澤さん、同じく前回一時的に世界記録保持者となる21段を成功させたヨーさん、そして前回世界新記録となる22段を達成したシェルボさんの3人での頂上決戦。

18段からスタートするまさに頂上決戦らしい戦い。誰一人脱落することなく、3人とも21段を成功。3人で世界記録である22段へ挑戦します。この高さを長澤とヨーさんが成功。二人が世界記録に並びます。一方のシェルボさんは22段を失敗し、ここで脱落。そして高さは世界新記録となる23段へ。長澤さんはこの高さを失敗したものの、ヨーさんが背中から落ちる形で見事成功。世界記録保持者となりました。

この23段は今なお世界記録であり、ヨーさんは世界記録の初代成功者として番組に名を残し、番組にもその後も挑戦しました。

 

 

【1999年3月26日放送。第5回芸能人サバイバルバトル。】

池谷直樹 23段【世界記録】

 

90年代最後の芸能人大会。芸能人大会ではケイン・コスギさんが当時無双状態。特にMONSTER BOXでは他の選手が最高でも15、16段で終わる中、ただ一人22段を記録しており、敵なしの状態でした。

そこでケインさんに対抗できる人物として、体操選手を引退し、タレントとなっていた元世界記録保持者の池谷直樹さんに白羽の矢が立ちます。池谷さんの自己記録は20段でしたが、21段・22段と自己記録を更新。ケインさんも同じ高さを成功させ、戦いはついに23段へ。この高さを池谷さんが成功!体は傾いたものの跳び越え、史上二人目の23段成功者となりました。ケインさんにとっては初のMONSTER BOX敗退となりました。

池谷さんとケインさんのMONSTER BOXを番組を代表する戦いとして有名ですが、全てはここから始まりました。

 

 

【2002年1月1日放送。第8回プロスポーツマンNo.1決定戦。】

池谷直樹 23段(24段失敗)

 

2002年のプロ大会。ケインさんは99年、池谷さんは01年のプロ大会から芸能人ながらプロのスポーツ選手に混じって参戦していました。

この大会でも池谷さんとケインさんの一騎討ちに突入します。共に21段を越え、22段へ。これを池谷さんは見事一発で成功。一方のケインさんは2回とも失敗。これで池谷さんはこの種目No.1を獲得。その後、世界記録23段に挑戦。体を横にひねりながら飛び越えていき、見事二度目の成功者となりました。その後、世界新記録、そして人類初の24段に挑戦。結果は失敗に終わりました。

池谷さんは24段こそ失敗しましたが、23段の成功により、世界初の23段複数回成功者となりました。MONSTER BOX23段複数回成功者は、スポダン時代も含めて唯一の存在となっています。

 

【2005年1月1日放送。アテネ五輪体操メダリスト決戦。】

モーガン・ハム 23段【世界記録】(24段失敗)

水鳥寿思 23段【世界記録】(24段失敗)

 

2005年の元日のプロ大会内での放送。アテネ五輪メダリスト10名に世界記録保持者のヨーさんを加えたメンバーで開催。また日本でも同時刻に開催しており、アテネと中継を繋いでの戦いだった。

22段を越えたのは、アテネ五輪団体金メダリストの水鳥、同じく銀メダリスト、アメリカのモーガンさん、世界記録保持のヨーさん。3人で世界記録へ。この高さをモーガンさんと水鳥さんが成功!共に両足着地であり、水鳥さんに至っては完璧ともいえる跳躍でした。一方のヨーさんは1回目を失敗した際、足を痛めてしまい、途中棄権となりました。23段を成功した2人は世界新記録の24段へ。しかし両者失敗となりました。

この回では、史上初となる23段を複数人跳んだ回であり、共に両足着地での成功でした。23段を両足で着地したのは現在もこの2人しかいません。

 

 

【2006年10月4日放送。第17回芸能人サバイバルバトル。】

池谷直樹 23段【世界記録】

 

2006年秋の芸能人大会。この1年前の秋の芸能人大会で知幸さんが初出場。21段いきなり21段を記録。2006年春の大会ではともに記録21段でNo.1を分け合っていました。

半年ぶりの二人の対決では、20段までともに成功。池谷さんは21段1回目で失敗するなど苦戦する展開。ともに譲らず22段まで成功し、芸能人大会では6年ぶりの23段決戦へ。結果は知幸さんが失敗し、池谷さんが成功。この大会では終始苦しい跳躍が続き、知幸さんにリードを許す展開の中での世界記録の跳躍。23段成功後は喜びを爆発させ、雄たけびを上げ、涙を流しました。

池谷さんにとっては自身3度目、30代になってからは初の23段成功でした。知幸さんという新星が現れ、追われる身となり世代交代も囁かれる中での23段成功は感動を呼び、番組を代表する名シーンとなりました。

 

 

【2017年1月1日放送。アスリートVS芸能人。】

・平野泰新 23段【世界記録】(24段失敗)

 

2017年元日の放送。この元日放送では前半がスポーツ男子頂上決戦。後半が芸能人とアスリートが対決するという内容でした。

その後半の放送でのMONSTER BOXでの対決。芸能人からは佐野岳さん、森渉さん、平野泰新さん。アスリートからは体操界からオルガ・ベルニャエフさん、デニス・アブリャジンさんが参戦しました。平野さんは21段をただ一人成功させ、この種目No.1を獲得。その後夢の世界記録となる23段へ挑戦。2回目の試技で見事成功させ、見事世界新記録を達成しました。

11年ぶり、史上5人目となる23段成功者となり、また体操選手以外では初の成功者となりました。スポダンが始まって以降初の成功者であり、平野さんは短い助走から強い踏切りで飛び越えていく様は印象に残っています。

 

 以上のようになっています。記事を書くにあたり、以下の2冊を参考にさせていただきました。

 

1993年~1999年までのスポーツマンNo.1決定戦の全記録が細かく書かれています。しかしこの本は現在絶版。メルカリのようなフリマアプリか図書館で探すしかないようです。

しかしスポマンファンとしてはとても貴重な情報や裏話などがたくさん入っており、スポマンファンの方は読むべきだと思います!

 

長々の振り返りましたが、以上が全記録となり   ます。

スポーツマンNo.1決定戦シリーズは1993年~2010年まで放送。そしてスポーツ

男子頂上決戦シリーズは2012年~2018年まで放送されました。つまりスポーツマンNo.1決定戦時代から数えると25年、四半世紀の歴史がこのMONSTER BOXには詰まっています。

その歴史を少しでも感じ取っていただければ幸いです。