前竜王・前名人を名乗った棋士

 どうもstsです。

 

今回は将棋の記事です。

今年初の将棋がテーマの記事です。

 

先日、日本将棋連盟竜王・名人失って無冠になった際に使われる称号である「前竜王」、「前名人」の廃止を決定しました。

しかし過去にも当ブログでも取り上げたように近年は断る棋士がほとんどになってしまい、使われなくなっていました。

oknsts1018.hatenablog.com

 

ということで今回は過去、前竜王、前名人を名乗った棋士は何人いたのか調べてみました。

さっそくどうぞ!

 

【前名人】

(1)木村義雄十四世名人

木村先生は初代名人に輝くと5連覇。その翌年挑戦者として塚田八段(当時)に破れ、「前名人」を名乗ります。この当時は名乗れる期間が1年間ではなく、次の名人が誕生するまでの間名乗れたようで、翌年塚田名人が防衛した際も「前名人」を名乗りました。

さらにその翌年、名人挑戦者として名人戦の舞台に戻ってくると、見事名人に復位。以後3連覇を果たします。その後大山先生に名人を奪われ、そのまま引退。規定により「十四世名人」を名乗りました。

 

(2)塚田正夫名誉十段

塚田先生は木村名人から名人の座を奪うと、2連覇します。その後木村先生に名人を奪い返され、「前名人」を名乗ります。この後、大山名人誕生に伴い、前名人を名乗れなくなりますが、当時新たに規定された段位としての「九段」を名乗ることとなりました。

 

(3)大山康晴十五世名人

上記のように木村名人を破った大山先生は以後5連覇を果たします。しかし兄弟子である升田先生に名人を奪われ、無冠となり、「前名人」を名乗ります。しかし、同年度の王将戦で升田先生から王将を奪い返し、「王将」を名乗りました。

 

(4)中原誠十六世名人

中原先生は当時名人戦で無類の強さを誇っていた大山先生の連覇を13で止め、その後9連覇を果たしますが、加藤九段に奪われます。その時は無冠となり、「前名人」を名乗ります。しかし同年度内で十段に復位し、十段を名乗ります。

その後、谷川名人を破り、名人の座に返り咲くと、3連覇。そこで谷川先生の挑戦で敗れ、またしても無冠になり、2度目の「前名人」を名乗ります。しかしまたしても同年度内の王座戦でタイトル獲得し、またしても前名人を名乗ったのは数か月でした。

その2年後、谷川名人へのリターンマッチで見事奪取すると、2度目の名人復位。2度目の名人復位は当時史上初でした。その再び3連覇を果たします。しかし翌年米長先生に敗れ無冠に。1年間「前名人」を名乗ります。そして前名人の期間が切れる前に他の棋士と同列で九段とは呼べないということで特例で現役のまま「永世十段」を名乗りました。

 

(5)加藤一二三九段

上記のように中原先生の名人連覇を9で止めた加藤一二三九段。この時は有名な十番勝負の時ですね。しかし翌年、自身に次ぐ史上二人目の中学生棋士としてデビューしていた谷川八段の挑戦を受け、失冠。一年間「前名人」を名乗りました。

 

(6)谷川浩司九段

加藤一二三名人から名人を奪い、21歳という今も破られていない史上最年少名人記録を打ち立てた谷川先生。翌年も防衛しますが、その翌年、中原先生の挑戦を受け、名人の座を失い、「前名人」を名乗ります。しかし同年度内の棋王戦でタイトルを奪取。「棋王」を名乗り、前名人を名乗っていたのは約半年ほどでした。

 

(7)米長邦雄永世棋聖

中原先生の2度目の名人復位からの連覇を3で止めたのは、若手時代からのライバル米長先生でした。7度目の挑戦となる名人戦で悲願のタイトル奪取。翌年羽生四冠に名人位を奪われ、1年間「前名人」を名乗りました。また米長先生が最後の前名人を名乗った棋士となりました。

 

前名人を名乗ったことのある棋士は上記7名でした。

実は米長先生が最後の棋士だったんですね。また一番初期の頃は次の名人誕生まで使われていたというのも知りませんでした。

ちなみに前名人を名乗らなかった棋士は以下の通りです。

 

 1.他のタイトルを持っていたため名乗る必要のなかった棋士

(1)大山康晴十五世名人(2度目の失冠の時)

(2)谷川浩司九段(2度目の失冠の時)

(3)羽生善治九段

 

2.断った棋士

(1)升田幸三実力制第四代名人

(2)谷川浩司九段(3度目の失冠の時)

(3)佐藤康光九段 

(4)丸山忠久九段

(5)森内俊之九段

(6)佐藤天彦九段

 

このようになっています。前名人の称号は谷川先生が断って以来約20年ほど呼ばれていない称号でした。しかし調べてみると過去には谷川先生以前に升田先生が断られていたんですね。

 

 【前竜王

(1)島朗九段

米長邦雄九段を破り、記念すべき初代竜王に輝いた島竜王。スーツを着てタイトル戦に挑んでいたのが印象的でした。しかし翌年同じ「島研」のメンバーだった羽生六段に奪われ、無冠となり、一年間「前竜王」を名乗りました。

 

(2)羽生善治九段

19歳の若さで竜王を獲得した羽生竜王でしたが、初の防衛戦に挑戦者として現れたのは谷川二冠でした。結果は奪取されることとなり、無冠に。「前竜王」を名乗ります。しかし、約半年後の棋王戦でタイトル奪取、前竜王を名乗ったのは、半年ぐらいでした。

 

(3)佐藤康光九段

竜王を名乗った3人目は佐藤康光九段でした。1993年、着々とタイトルを増やしていた羽生竜王に挑戦者としてきた佐藤七段は見事タイトルを奪取。翌年羽生名人のリターンマッチでタイトルを奪われ、一年間「前竜王」の称号を名乗りました。

 

なんと、前竜王を名乗ったのは、上記3名のみ!名人戦に比べて、竜王戦が歴史が浅いとはいえ、3名しかいなかったのは驚きでした。

 

竜王を名乗らなかった棋士

1.他のタイトルを持っていたため名乗る必要がなかった棋士

(1)谷川浩司九段(一度目の失冠の時)

(2)羽生善治九段(二度目、三度目の失冠の時)

(2)森内俊之九段(一度目の失冠の時)

(3)渡辺明三冠

 

2.前竜王を断った棋士

(1)谷川浩司九段(二度目の失冠の時)

(2)藤井猛九段

(3)森内俊之九段(二度目の失冠の時)

(4)糸谷哲郎八段

(5)羽生善治九段(四度目の失冠の時)

(6)広瀬章人八段

 

となっています。

こちらも谷川先生が断ってから、竜王を失って、無冠になった棋士は全員断っています。羽生先生が無冠になった時は九段と呼ぶのか、前竜王と呼ぶのか、それとも特例で永世称号で呼ぶのか話題になったのは記憶に新しいですよね。

 

以上のようになっています。

竜王、前名人の称号はもう使われないのでこれから名乗る棋士は出てこないということなるのは何か少し寂しいですが、やはり九段からの段位での再出発というのもかっこいいですよね。