笑点、歴代出演期間ランキング

どうもstsです。

今回のテーマは「笑点」です。笑点は1968年から放送開始。子どもからお年寄りまで見て楽しめる日本を代表する演芸番組です。

先日林家木久扇師匠が笑点からの卒業を発表。55年間という長きに渡る番組出演でした。ということで今回は笑点メンバーの出演期間をランキング形式でまとめてみました。それではさっそくどうぞ!

 

1位林家木久扇(林家木久蔵) 55年

1969年11月9日~2024年3月31日

1位は先日、卒業された木久扇師匠。笑点になくてはならない、おバカキャラとしてお茶の間を笑わせ続けました。卒業回では「また来週」と発言し、爆笑を誘い翌週新メンバー発表回では本当に登場するなど、どこまでも型破りなキャラクターでした。大喜利の回答は年齢問わず誰が見ても笑えるもので大きな存在でした。笑点に何かあったらすぐに駆け付けると述べており、次はいつ出てくるのか楽しみにしています。

 

2位桂歌丸 50年

1966年5月15日~1969年3月30日

1969年11月9日~2016年5月22日

2位は回答者として40年、司会者として10年、番組を引っ張り支え続けた「ミスター笑点桂歌丸師匠。第1回からの出演者であり、レギュラー陣総入れ替えの時の除き出演を続け、番組50周年を機に卒業。回答者、司会者として切れ味鋭い答えや返しで爆笑を生み続けました。卒業後は「終身名誉司会」として番組に関わり続け、逝去後は「永世名誉司会」として番組のオープニングやカレンダーに登場しています。

 

3位六代目三遊亭円楽(三遊亭楽太郎) 45年

1977年8月28日~2022年1月30日

3位は腹黒キャラで人気を博した六代目の円楽師匠。20代の時に大喜利メンバーとなり、45年間出演を続けました。円楽師匠といえば、やはり歌丸師匠とのバトルが名物。回答者として片方がイジるともう片方がすぐに手をあげてやり返すのはもはや定番。歌丸師匠が司会就任後は司会者VS回答者の構図で戦いはさらに激化。昇太師匠、たい平師匠とともにブラック団を結成し、さまざまな戦いを繰り広げました。

 

4位三遊亭小遊三 41年

1983年10月16日~現在

4位は笑点のイケメン枠、小遊三師匠。そもそもは落語に専念するため笑点を離れた好楽師匠に代わるメンバーとして参戦。キザなキャラクターでありながら、下ネタや泥棒ネタ、近年は頻尿までネタにするなど、そのネタはわかりやすく人気も高いです。30年以上1番目の席となっており、大喜利で最初に登場するのは小遊三師匠ではないとむしろ違和感があります。これからも変わらぬそのキャラクターで番組を支えていきます。

 

5位三遊亭好楽(林家九蔵) 40年

1979年9月9日~1983年10月9日

1988年4月3日~現在

5位は現在圓楽一門からの唯一の出演者、好楽師匠。元々は木久扇師匠の弟弟子で、林家九蔵の名で出演していましたが、五代目圓楽師匠の弟子へ移籍。移籍後、落語を学ぶため笑点を離れるも後に復帰。かつては正統派の回答者だったものの、それを逆手に取り、いつの間にか人気がない、面白くないという唯一無二のキャラへと進化。現在は晴の輔師匠・宮治師匠とともにチームマカロンとして、最年長のメンバーとして出演中。

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6位山田隆夫 

1984年10月7日~

6位は「卒業」、「クビ」だのネタにされ続ける「ミスター座布団運び」山田さん。元々は三波伸介さん司会時代の「ちびっ子大喜利」に出演。そのため現メンバーで一番の先輩説も。その後そのメンバーで「ずうとるび」として歌手デビューし、一世を風靡しました。その後、座布団運びとして番組に復帰。かつては挨拶で歌を歌うのが恒例でした。これからもイジられる座布団運びとして幸せと座布団を運び続けます。

 

7位林家こん平

1966年5月15日~1969年3月30日

1972年7月30日~2004年9月5日

7位は林家たい平師匠、二代目林家三平師匠の師匠、こん平師匠。歌丸師匠と同じく第1回からの出演者で、レギュラー総入れ替え時に番組を離れるものの後に復帰。挨拶で毎回披露していた「1、2、3、チャッラ~ン!」の挨拶は恒例でした。弟子のたい平師匠が披露する山田くんクビネタは元々こん平師匠が披露していました。明るく大きな声で元気印のキャラクターとして長年番組を支え貢献した存在でした。

 

8位五代目三遊亭圓楽

1966年5月15日~1969年3月30日

1970年6月21日~1977年3月27日

1983年1月9日~2006年5月14日

8位は「星の王子様」の愛称で知られた五代目圓楽師匠。圓楽師匠は歌丸師匠、こん平師匠と同じく第1回からのメンバー。レギュラー陣総入れ替えの時を除き出演を続けましたが、落語に専念するため番組を卒業。しかし当時の司会者、三波伸介さんの急逝に伴い、4代目司会者として白羽の矢が立つと、以後20年以上に渡り司会者として出演。おおらかながらも豪快な司会ぶりで長年笑点を支えました。

 

9位林家たい平

2004年12月26日~現在

9位はこん平師匠の弟子であり、明るいキャラクターで人気のたい平師匠。元々はこん平師匠の代役としての出演でしたが、番組40周年を機に正式にメンバーへと昇格。メンバーの最年少として飛んだり跳ねたり大きく動くネタは笑点に新たな風を吹き込みました。新たなものを作る一方、こん平師匠の山田さんクビネタを引き継ぎ、現在は座る位置も端から中央となり、メンバー全体を引っ張る中堅として番組を支えています。

 

10位春風亭昇太

2006年5月14日~現在

10位は現在6代目司会者として番組を引っ張る昇太師匠。元々は若手大喜利の司会者として番組と関わりをもっていましたが、40周年で勇退した圓楽師匠に代わる新メンバーとしてレギュラー加入。かつては一番の新人で結婚できない独身をネタといていました。しかし今や歌丸師匠の後を継いで六代目司会者となり、結婚をして伴侶も手に入れ、さらには落語芸術協会の会長として、笑点、落語界を引っ張っていきます。

 

以上のようになっています。

番組を代表する方ばかりが入っています。番組に50年以上に渡り傘寿を超えても出演し続けてた木久扇師匠と歌丸師匠は圧巻です。

56年目を迎えた笑点、2021年からは桂宮治師匠、2022年には春風亭一之輔師匠、そして今年からは木久扇師匠に代わって立川晴の輔師匠がメンバーに加入して新たな風を吹き込んでいます。

伝統を受け継ぎながらも進化し続け、視聴者を楽しましてくれる笑点。これからも楽しみにしています!

ではまた!

名人戦黎明期を振り返る③

どうもstsです。

今回も前回に引き続き名人戦黎明期を振り返っていきます。

第1期は様々な出来事が起こった中、リーグ戦を制した木村八段が初代名人に就き、第2期では関根十三世名人時代の実力No.1の土居八段、第3期では関西で実力トップの神田八段を破り、木村名人が3連覇を果たしていました。今期は第4期と第5期を振り返ります。

さて、過去の名人戦一覧を見ると、第4期と第5期の挑戦者のところを見てみると「挑戦資格者なし」となっていたり、空欄になっていたりします。実際に日本将棋連盟のホームページ、名人戦の「過去の結果」の欄を見ると空欄になっています。

なぜ第4期と第5期の名人戦は挑戦資格者がなしとなったのか、なぜ行われなかったのか、気になりますよね。ということで見ていきましょう。

さっそくどうぞ!

 

【第4期名人戦

①第4期でもルール変更

第4期の挑戦者を決める戦いは大幅に変更。16名の棋士によるトーナメントを半年に1回行い、その優勝者は木村名人と予備手合三番勝負を行い、そこで勝ち越すことができれば挑戦権を得れるというものでした。

予備手合三番勝負は半香落ち→平手→振り駒(先手なら平手、後手なら半香落ち)で行うおので、そして、もしこの挑戦権を得る棋士が複数名いた場合はその棋士プレーオフを行うルールでした。

当時は名人戦で木村名人の棋譜を見るためには、七番勝負開催までの2年間待つ必要がありましたが、このルール改正により最低でも半年に1回は見れることとなり、ファンにとっては喜びが増える形になりました。

 

昭和18年、木村名人が三番勝負で勝利。

第1回目の予選は第2期名人戦のリーグ戦では2位となった萩原淳八段が挑戦権を獲得。木村名人との三番勝負に挑みます。第1局の半香落ちの対局では、千日手指し直しの末木村名人の勝利。第2局の平手の将棋も木村名人が勝利。

第2回目の予選では前期ベスト4まで残っていた大野源一八段が挑戦権を獲得します。「振り飛車名人」と呼ばれる大野八段が予備手合戦に進出します。第1局の半香落ちでは勝利を収め、挑戦権獲得まで王手を掛けます。しかし第2局の平手の対局で敗れ、第3局の平手では千日手に。指し直し局は半香落ちの対局となりますが、それを制したのは木村名人。再び予備手合三番勝負を制しました。

昭和18年の予備手合三番勝負は上記のように木村名人がどちらも勝利し、挑戦権を獲得した人は現れませんでした。名人挑戦権を得た棋士と名人が対局して、名人側が半香落ちで勝利する、木村名人がいかに突き抜けて強かったかわかるエピソードだと思います。

 

昭和19年も木村名人が三番勝負で勝利。挑戦資格者は現れず。

昭和19年に入り、第3回目の予選を開催。この予選を勝ち上がったのは花田長太郎八段。第1期名人を決めるリーグ戦では木村名人とともにリードしていた花田八段が予備手合三番勝負へと進みます。注目の三番勝負は、第1局の半香落ちでは木村名人が勝利、第2局の平手の対局も木村名人が勝利。2連勝でまたしても木村名人が予備手合を制します。

いよいよ最後となる第4回の予選。ここでの予選を勝ち上がったのは坂口允彦八段でした。第4期名人戦の挑戦権を決めるトーナメントでは好成績を収めていた坂口八段がついに挑戦権を獲得しました。三番勝負の第1局では半香落ちの対局を木村名人が勝利、続くの第2局の平手の対局も木村名人が勝利。なんと2回連続の2連勝で予備手合三番勝負を勝利しました。

昭和19年の予備手合戦も木村名人が勝利。しかもこの年は一度も負けることがなかったという驚愕の強さです。昭和18年~19年までの4回の予選勝利者を全て跳ね除け、挑戦資格者を得る棋士は現れず、七番勝負は開催されず防衛扱いとなりました。これが第4期の挑戦資格者なしの理由です。

 

【第5期名人戦

①選抜棋士による予備手合制に変更

第5期の名人挑戦者を決めるための戦いはさらにルール変更。第5期でも予備手合制を導入しますが、予備手合制の対局に出場する棋士は予選突破棋士ではなく、近年の生清優秀者7名の棋士。選抜された状態でのスタートだった。

選抜された棋士は以下の通り

・花田長太郎八段(前期挑戦候補者。「終盤の花田」。)

金子金五郎八段(「序盤の金子」。将棋世界初代編集長。)

萩原淳八段(前期挑戦候補者。「闘将」。)

・坂口允彦八段(前期挑戦候補者。「クロガネ」。)

塚田正夫八段(花田の弟子。後の名誉十段。)

大野源一八段(前期挑戦候補者。「振り飛車名人」。)

加藤治郎七段(大学出身者初のプロ棋士。後の名誉九段。)

この7名が木村名人と半香落ち→平手→平手の3局を指し、勝ち越すことができれば名人挑戦資格者となり、複数名出た場合は、プレーオフとなる。

 

②戦争激化により中止に

名人挑戦者を決める予備手合制の対局は順次行われていきますが、当時は第二次世界大戦の真っ最中。戦争は激化の一途を辿り、対局は中止。挑戦者を決めることができませんでした。これが第5期における「挑戦資格者なし」の理由です。

戦争により名人挑戦者を決めることができないため、名人戦の七番勝負も実施されませんでした。その結果、木村名人の防衛扱いとなり、5連覇となっています。

七番勝負を対局せず防衛というのは腑に落ちない人もいるかもしれませんが、当時の木村先生の圧倒的な強さがあるがゆえの扱いともいえます。

 

以上のようになっています。

「挑戦資格者なし」の真実は

・第4期名人戦→木村名人が予備手合三番勝負で全て勝利したため

・第5期名人戦→太平洋戦争激化のため

でした。

それにしても第4期名人戦における予備手合三番勝負では予選突破棋士全員に半香落ちで勝利を収めており、桁違いの強さを見せつけています。今はプロの公式戦では香落ちの制度がないため、名人と新入りの四段でも平手で対局することはありません。しかし当時のトップ棋士のトーナメント勝利者と香落ちで対局してほぼ毎回勝っていたという圧巻の強さで、「十年不敗」と言われた木村名人の強さを表すエピソードですね。

ではまた!

 

※参考文献

日本将棋連盟ホームページ『将棋の歴史』

www.shogi.or.jp

 

順位戦データベース「各期名人戦

www.ne.jp

将棋界、通算1000勝達成者

どうもstsです。

本日のテーマは「将棋」です。

昨年末、丸山忠久九段が叡王戦予選において勝利を挙げたことにより、通算1000勝を達成しました。おめでとうございます!

ということで今回は将棋界における歴代の1000勝達成者をまとめてみました。

それではさっそくどうぞ!

 

①「巨人」大山康晴十五世名人【永世十段永世王位永世王将・永世棋聖

初の1000勝達成者は大山康晴十五世名人です。大山先生は昭和の時代を彩り、「巨人」と言われ、歴代最強の棋士の一人です。

大山先生は16歳でプロ入り。名人13連覇、五冠独占、50棋戦連続タイトル戦登場という不滅の記録を数多く作り、昭和の時代を彩り活躍。タイトル通算獲得数は80期(歴代2位)を数えました。平成に入っても、還暦を超えながらA級の座を守り続けトップ棋士として君臨し続け、1992年、69歳で現役でA級在籍のまま亡くなりました。

 

 

②「神武以来の天才」加藤一二三九段

2人目の達成者は加藤一二三九段です。若手時代から活躍を続け「神武以来の天才」と呼ばれました。

加藤先生は14歳でプロ入り。史上初の中学生棋士として最年少記録を様々打ち立てました。また衰えぬ闘志で現役を長く続け、現役晩年は史上最年長棋士として最年長記録を数多く樹立。また加藤先生は早指しの将棋も得意とし、「1分将棋の神様」とも呼ばれました。

 

③「自然流」中原誠十六世名人【永世十段永世王位名誉王座・永世棋聖

3人目の達成者は中原誠十六世名人。自然な手を積み重ね勝利を掴む棋風は「自然流」と呼ばれ、多くの将棋指しの手本となっています。

中原先生は18歳でプロ入り。順位戦では毎年昇級を重ね。タイトル戦では長らく続いた大山先生の時代を打ち破り、「棋界の太陽」と呼ばれました。中原先生は昭和後期~平成初期にかけて活躍。中原時代を築き、永世称号は5つ獲得。タイトル通算獲得数は64期(歴代3位)を数えました。

 

④「泥沼流」米長邦雄永世棋聖

4人目の達成者は米長邦雄永世棋聖です。米長先生は中終盤の不利な場面で局面を複雑化する手を放ち、逆転をする様は「泥沼流」と呼ばれました。

米長先生は19歳でプロ入り。中原先生とは若手時代からライバル関係であり数多くの名勝負を繰り広げました。米長先生は2003年に引退。引退後は会長に就任。第1期電王戦ではコンピュータソフトと戦うなど、引退後も盤上、盤外で活躍を続け、2013年に亡くなりました。

 

⑤「自在流」内藤國雄九段

5人目は内藤國雄九段です。内藤先生は横歩取りなど空中戦法を得意とし、「自在流」の棋風で知られました。

内藤先生は18歳でプロ入り。棋聖や王位のタイトルを獲得し、A級にも17期在籍しました。内藤先生は年齢を重ねても長らく奮闘し、順位戦では還暦を超えてなおB級2組で昇級争いをするなど活躍しました。内藤先生は2015年に引退。最終対局はちょうど1000敗という節目の対局となりました。

 

⑥「火の玉流」有吉道夫九段

6人目の達成者は有吉道夫九段。有吉先生は激しい攻めを繰り出す様は「火の玉流」と呼ばれました。

有吉先生は19歳でプロり。棋聖のタイトル経験者でもあります。また内藤先生とは関西を代表するライバル関係と知られ、内藤先生と同じく還暦を超えても活躍し、A級には通算21期在籍。最年長棋士として長らく現役を続けました。有吉先生は2010年74歳で引退。2022年に亡くなりました。

 

⑦「光速流」谷川浩司十七世名人

7人目の達成者は谷川浩司九段。終盤において相手玉を一気に寄せきる様は「光速流」と呼ばれファンを魅了します。

谷川先生は14歳でプロ入り。その後21歳という当時史上最年少記録で名人の座に就くと、昭和から平成にかけて活躍。羽生先生とは平成の間で数多くタイトル戦でぶつかり、激闘を繰り広げました。谷川先生は現在1400勝も目前に迫っており、大山先生の勝数を追い抜けるかにも注目です。

 

⑧「レジェンド」羽生善治九段【永世竜王・十九世名人・永世王位名誉王座永世棋王永世王将・永世棋聖

8人目の達成者は羽生善治九段。現在の日本将棋連盟の会長という激務の中にありながらトップ棋士として活躍を続ける将棋界の「レジェンド」です。

羽生先生は15歳でプロ入り。史上初の七冠独占、永世七冠達成など平成将棋界の中心として活躍しました。羽生先生は1000勝を最年少・プロ入り最速・最高勝率で達成。その後も勝利を積み重ね、史上初となる1500勝も達成。今後この記録を打ち破れる棋士が現れるか、どこまで記録を伸ばすのか注目です。

 

⑨「緻密流」佐藤康光九段【永世棋聖資格者】

9人目の達成者は、佐藤康光九段。「1秒間に1億と3手読む」と言われる深い読みから「緻密流」と呼ばれます。

佐藤先生は17歳でプロ入り。若手時代から竜王を獲るなど活躍。30代に入ってからは棋聖戦では特に強さを発揮、6連覇を果たし、永世棋聖の資格者となっています。A級には日本将棋連盟の会長を務めながら、50歳を超えて在籍。誰も真似できない序盤戦術は常に注目の的です。

 

⑩「激辛流」丸山忠久九段

10人目の達成者は、今回1000勝を果たした丸山忠久九段です。丸山先生は優勢な局面で辛い手を選び勝利を手繰り寄せる様から「激辛流」の棋風で知られています。

丸山先生は19歳でプロ入り。角換わりのスペシャリストとして有名で、若手時代からコンスタントに勝ち星を積み重ね、名人や棋王のタイトルを獲得。先日の銀河戦では藤井聡太銀河を破り、初優勝。羽生世代の一角としてまだまだ勝利数を積み重ねていくでしょう。

 

以上のようになっています。

通算勝利数を増やすためには、長く活躍を続けることが条件として挙げられ、過去達成した人数の少なさから、1000勝は一つのステータスとされています。

次の1000勝達成者は誰になるのでしょうか。注目です。ではまた!

M-1グランプリ、歴代1位~3位

どうもstsです。

本日のテーマは「M-1グランプリ」です。

M-1グランプリは、2001年から始まった毎年年末に放送される漫才日本一を決める大会。近年はレベルの高さも相まってか、年々、注目度が高くなっています。

M-1グランプリは、決勝戦のファーストステージでネタを披露した後、得点の高かった上位3組がファイナルステージに進出。その3組で優勝を争うのがルールです。

ということで今回はM-1グランプリの歴代1位~3位を表にしてまとめてみました。

それではさっそくどうぞ!

※以下の表は、ファイナルステージの得票数による最終順位です。

  優勝 準優勝 3位
2001年 中川家 ハリガネロック アメリカザリガニ
2002年 ますだおかだ フットボールアワー 笑い飯
2003年 フットボールアワー 笑い飯 アンタッチャブル
2004年 アンタッチャブル 南海キャンディーズ 麒麟
2005年 ブラックマヨネーズ 笑い飯 麒麟
2006年 チュートリアル フットボールアワー 麒麟
2007年 サンドウィッチマン トータルテンボス キングコング
2008年 NONSTYLE オードリー ナイツ
2009年 パンクブーブー 笑い飯 NON STYLE
2010年 笑い飯 スリムクラブ パンクブーブー
       
2015年 トレンディエンジェル 銀シャリ ジャルジャル
2016年 銀シャリ 和牛 スーパーマラドーナ
2017年 とろサーモン 和牛 ミキ
2018年 霜降り明星 和牛 ジャルジャル
2019年 ミルクボーイ かまいたち ぺこぱ
2020年 マヂカルラブリー おいでやすこが 見取り図
2021年 錦鯉 オズワルド インディアンス
2022年 ウエストランド さや香 ロングコートダディ
2023年      

 

以上のようになっています。

今やお笑い界、漫才界を背負って立つ芸人さんばかりですね。

まず目につくのはやはり9年連続決勝進出という偉業を果たした、笑い飯さん。未だ破られていない、9年連続の決勝進出の内、5回ファイナルステージ進出という圧倒的な安定感と強さを誇りました。

そして初期の方で複数回見かけるのは麒麟さん。3連続3位という成績を残しています。今や全国的な知名度がある麒麟さんですが、最初に全国区に名が知れ渡ったのはこのM-1グランプリでした。

近年ではやはり和牛さん。3連続準優勝という結果を残しています。先日、解散を発表され、驚いた方も多かったのではないでしょうか。

さて、今年は12月24日にM-1グランプリ2023決勝戦が放送されます。今年王者に輝く漫才師はどのコンビなのでしょうか。楽しみにしています!

ではまた!

名人戦黎明期を振り返る②

どうもstsです。

今回は前回の続きとなる記事。名人戦の黎明期を振り返っていきます。

前回は様々な出来事が起こった中での初代名人を懸けた流れを振り返りました。

oknsts1018.hatenablog.com

今回は第2期~第3期を振り返ってみます。

それではさっそくどうぞ!

 

【第2期名人決定大棋戦】

①第2期名人決定大棋戦スタート

実力制初代名人となった木村義雄名人。第2期名人戦の挑戦者を決める戦いが始まります。前回の第1期のリーグ戦の途中で病気により亡くなった大崎熊雄八段、前回成績下位により規定で不参加となる木見金治郎八段を除いた全八段に加え、南禅寺の決戦・天龍寺の決戦を戦った坂田三吉八段格、全七段によるリーグ戦を勝ち抜いた渡辺東一七段、全9名で行われます。参加者は以下の通り。

・土居市太郎八段(前期3位。関根十三世名人時代の実力No.1。)

金易二郎八段(前期7位。後の名誉九段。)

・花田長太郎八段(前期2位。終盤の花田。)

金子金五郎八段(前期5位。将棋世界初代編集長。)

・神田辰之助八段(前期4位。関西の実力No.1。)

萩原淳八段(前期6位。後の日本将棋連盟会長。)

・斎藤銀次郎八段(八段昇段で参加。「徹夜の神様」。)

坂田三吉八段格(「八段格」として参加。関西で「名人」を名乗る。)

・渡辺東一七段(七段リーグ戦突破により参加。後の日本将棋連盟会長)

また第1期では他紙の成績も加味された上での名人決定方法でしたが、第2期では主催者の毎日新聞の棋戦のみの成績で挑戦者を決めることとなりました。

 

②土居八段が挑戦権を獲得

参加9人による総当たりで行われた第2期。1次リーグと2次リーグを行いますが、1次リーグの成績下位者は2次リーグに進めないというルールでした。

このリーグ戦において、絶好のスタートを切ったのは、関根金次郎十三世名人時代に実力No.1とうたわれた土居八段でした。当時50歳を超えていながら、1次リーグを全勝。一方前期は2位で木村八段(当時)と初代名人の座を争った花田八段は第2期では不調。1勝7敗と苦しみ、2次リーグに進めませんでした。

2次リーグに入っても土居八段は好調。最終的には全勝というぶっち切りの成績で名人挑戦権を獲得。第2期名人戦七番勝負は「名人VS前時代の覇者」という構図となります。

 

③定山渓の名局、木村名人の連覇

実力制初代名人の木村名人と関根金次郎十三世名人時代実力No.1とうたわれた土居八段の名人戦ですが、木村名人が開幕2連勝を飾ります。

しかし第3局、相掛かりの将棋は千日手となります。日を改めて行われた指し直し局も相掛かりとなりますが、なんとまたしても千日手。さらに日を改めて北海道の定山渓で再度の指し直し局が行われます。2千日手となった本局ですが、この対局を土居八段は見事勝利。互いに力を出し尽くしたとして知られるこの1局は「定山渓の名局」と呼ばれています。またこの対局で土居先生が採用した矢倉は現在AIの隆盛で復活を遂げており、「土居矢倉」と呼ばれています。

一番返された形になった木村名人、しかし第4局、第5局と流れを渡さず連勝。リーグ戦を全勝で乗り切った挑戦者を跳ね除け、名人の強さを示す2連覇となりました。

 

【第3期名人戦

①第3期でも大幅なルール変更

第3期でも大幅ルール変更。今回は前回も参加の八段に加え、規定により今期から復帰となる木見八段、さらに新たに八段に昇段した坂口允彦八段と塚田正夫八段に、五段~七段による予選を勝ち抜いた大野源一七段と渡辺東一七段の計12名で挑戦権を争います。

まず12名を4名ずつの3組に振り分け、第一次予選を行います。そこで各組1位は第二次予選に進出。そして各組で2位だった棋士でトーナメントを行い、その棋士は第二次予選に進出。A~C組代表と次点代表の4名で第二次予選を行い、成績1位の棋士が名人挑戦者となるルールとなりました。

参加棋士は以下の通り。

【A組】

金易二郎八段(前期8位。後の名誉九段。)

金子金五郎八段(前期5位。将棋世界初代編集長)

・神田辰之助八段(前期3位。関西で実力No.1。)

・坂口允彦八段(八段昇段により参加。「クロガネ」。)

【B組】

・土居市太郎八段(前期1位。関根十三世名人時代の実力No.1。)

・花田長太郎八段(前期9位。第1期名人の座で木村八段と争う。)

・斎藤銀次郎八段(前期6位。「徹夜の神様」。)

大野源一七段(予選突破により参加。「振り飛車名人」。)

【C組】

・木見金次郎八段(今期からリーグ戦に復帰。升田幸三大山康晴の師匠。)

萩原淳八段(前期2位。後の日本将棋連盟会長。)

塚田正夫八段(八段昇段により参加。後の名誉十段。)

・渡辺東一七段(予選突破により参加。後の日本将棋連盟会長。)

 

②神田辰之助が挑戦者に

新たな形で行われたリーグ戦では、A組は神田八段、B組は土居八段、C組は渡辺八段、そして次点組からの復活で塚田八段が勝ち進みます。

4名による総当たりによる二次予選では神田八段が5勝1敗という圧倒的な成績を残し挑戦権を獲得。第1期名人を決める戦いの最中では神田七段の八段で昇段で将棋連盟分裂しましたが、その神田八段が挑戦権を獲得して名人戦の挑戦者になるという形になりました。

そして神田八段は関西出身の棋士。今まで常に名人は関東の棋士が保持してきたため、初の関西での名人、いわゆる「名人の箱根越え」に期待がかかります。

 

③木村、圧巻の防衛劇。

注目の名人戦開幕前、木村名人は口内炎がひどく、神田八段は肺病を患っての戦いという両者病体での戦い。それに加え神田八段の夫人も第1局開幕前に入院するという大変な状態だったいいます。

注目の第1局は神田八段優勢のまま終盤に突入。しかし終盤、時間に追われて指した手によって一気に逆転。好局となるはずの予定だった一局を落とすこととなった神田八段。神田八段をこの敗局が響いたか4連敗でシリーズを終えます。また今期は敗れても1勝以上していれば「準名人」を名乗れることとなっていましたが、それも逃す形となりました。

一方防衛した木村名人はこれで3連覇。第2期~第3期も2年間懸けて挑戦権を争っていたため、これで6年間名人の座に就くこととなりました。

 

以上のようになっています。

第2期はリーグ戦を全勝で勝ち抜いた土居八段。第3期は関西の強豪、神田八段を破っての防衛劇で木村名人の3連覇となっています。この時代の木村先生の圧倒的な強さが見て取れます。

当時の盛り上がりぶりは生きていないのでわかりませんが、前時代最強だった土居先生がリーグ戦を全勝で勝ち抜いて、52歳ながら年下の現最強の木村名人に挑戦するという構図は、今年の王将リーグを全勝で勝ち抜いた羽生善治九段が藤井聡太王将に挑戦した構図と似ている気がします。今年の王将戦も「世紀の一戦」、「天才対決」、「平成の天才VS令和の天才」などと呼ばれ、大きな盛り上がりを見せたため、それと同じぐらいの盛り上がりだったのかもしれません。

第3期では関西の神田八段が「名人の箱根越え」を懸けて争っています。どこの業界でもそうですが、やはり東西の対立構造は黎明期ではよく見られます。期待を一身に背負った戦いは、大きな注目度があった思われます。

次回は第4期・第5期を振り返りたいと思います。

ではまた!

 

※参考文献

加藤一二三著『将棋名人血風録 奇人・変人・超人』

日本将棋連盟ホームページ

www.shogi.or.jp

順位戦データベース

www.ne.jp

名人戦黎明期を振り返る。

どうもstsです。

先日、藤井聡太竜王渡辺明名人を破り、新名人となりました。実力制以降では16人目の名人の座に就き、史上2人目の七冠王になるとともに、史上最年少で名人の座に就いたことは大きな話題を呼びました。

名人戦は将棋界では最も古いタイトル戦であり、竜王と並ぶ将棋界最高峰のタイトルとして有名です。そこで、今回はその名人戦の黎明期の歴史を振り返ってみたいと思います。関根金次郎十三世名人が名人位を返上して新たに始まった実力制の名人戦。その黎明期はどうなっていたのでしょうか。振り返っていきましょう。

それではさっそくどうぞ!

※以下の文章では敬称略とします。

 

【第1期名人決定大棋戦】

①初代実力制名人を決める戦いがスタート

関根金次郎十三世名人が名人位を返上。これにより新たな実力制名人を決めるべく、当時の全八段の棋士7名でリーグ戦を行うこととなりました。参加者は以下の7名。

・土居市太郎八段(関根名人時代の実力No.1。後の名誉名人)

・木見金治太郎八段(関西出身の大御所棋士升田幸三大山康晴の師匠)

・大崎熊雄八段(日本将棋連盟結成の立役者。多くの新聞社の将棋欄を掛け持ち。)

金易二郎八段(棋士番号1。後の名誉九段)

・花田長太郎八段(終盤の花田、塚田正夫の師匠)

木村義雄八段(中盤の木村、当時史上最年少の八段昇段)

金子金五郎八段(序盤の金子、将棋世界初代編集長)

この7名で2年間かけてリーグ戦を行い、実力制初代名人を決めるリーグ戦が始まることとなりました。

 

②関西棋士の反発、神田事件勃発

この「第1期名人決定大棋戦」に出場した八段7名は全員関東所属の棋士でした。当時は「将棋の本流は関東」という考えがありました。そんな中、関西の「十一日会」に所属し、実力No.1と呼び声の高い神田辰之助七段を参加させたいという声が関西からあがります。

そこで神田七段をリーグ戦に参加させるか否か、それを決めるべく関東の全七段と全八段との対局を企画します。「全七、八段戦」と呼ばれるこの対局は、神田七段から見て、七段との対局は3勝4敗と負け越しなかがら、八段との対局は7戦全勝という結果を残しました。

そこで八段に昇格させるべきかの評議会が開かれます。しかし結論はまとまらず、紛糾。神田七段の八段昇格に賛成派だった花田八段と金子八段は日本将棋連盟を脱退。新たに「将棋革新協会」を立ち上げ、神田七段の八段昇段を承認しました。この神田七段の八段昇段を巡る一連の出来事は「神田事件」と呼ばれています。

 

③手打ち式を行い、和解。リーグ戦再開へ。

残留組は、リーグ戦の続行をしようとするものの、花田八段や金子八段がいなくなっては、世間は納得ができないという面がありました。そこで十三世名人の関根金次郎とその兄弟子であった小菅剣之助が仲介役となり、再び分裂した団体を繋げます。

そして昭和11年6月、将棋連盟・革新協会・十一日会で手打ち式を行い、新たに「将棋大成会」を立ち上げ、新たな船出となりました。

この三団体を結び付けた小菅には功績をたたえ、後に「名誉名人」の称号が贈られることとなります。

 

④西の名人、坂田三吉の登場

手打ち式を行い神田八段と新たに八段に昇段した萩原淳八段を加えた9人となり、第1期名人決定大棋戦は再開。リーグ戦は以下の9名で行われます。

・土居市太郎八段(関根名人時代の実力No.1。後の名誉名人)

・木見金治太郎八段(関西出身の大御所棋士升田幸三大山康晴の師匠)

・大崎熊雄八段(日本将棋連盟結成の立役者。多くの新聞社の将棋欄を掛け持ち。)

金易二郎八段(棋士番号1。後の名誉九段)

・花田長太郎八段(終盤の花田、塚田正夫の師匠)

木村義雄八段(中盤の木村、当時史上最年少の八段昇段)

金子金五郎八段(序盤の金子、将棋世界初代編集長)

・神田辰之助八段(当時の関西実力No.1。「闘将」。)

萩原淳八段(神田事件中の八段昇段で参加。後の日本将棋連盟会長。)

リーグ戦が折り返しを迎えた頃、読売新聞の菅谷北斗星氏の働きかけにより、関西で「名人」を名乗った坂田三吉が名乗りをあげます。そこで再開したリーグ戦でリードしていた木村八段と花田八段との対局が組まれることとなります。連盟側からすると、この対局で坂田三吉に敗れると名人という最強を決める戦いが水泡に帰す可能性すらあり、難色を示します。

しかし木村は「坂田ー木村戦が一局もないというのでは後世の批判を受ける」花田は「会の了承が得られぬなら、脱退しても指す」と話し、関東の最強棋士二人VS関西の名人という歴史に残る好カードが組まれました。

 

南禅寺の決戦、天龍寺の決戦

歴史に残るこの戦いは、今なお語り継がれる異例の形式で行われます。持ち時間30時間、対局日数は1週間、対局中の外出禁止となりました。

木村ー坂田戦(南禅寺の決戦)は坂田が2手目△9四歩と突き、花田ー坂田戦(天龍寺の決戦)では坂田が2手目△1四歩という衝撃の2手目を指します。この両対局は対局形式はもちろんですが、坂田三吉の2手目の衝撃度も相まって、将棋ファンなら誰もが知る対局となりました。

結果は木村八段、花田八段の勝利、関東の棋士が勝つ結果となりました。

 

⑥木村が初代名人に

南禅寺の決戦、天龍寺の決戦が終わり、リーグ戦はいよいよ終盤へ。やはり初代名人の座を争うこととなったのは、木村と花田の二人でありました。

最終的には木村が花田を突き放し、断トツの成績を残し、終了。見事実力制初代名人の座に就くこととなった。

第1期名人決定大棋戦が始まり、神田事件、分裂騒動、手打ち式、南禅寺の決戦・天龍寺の決戦と様々な出来事が巻き起こった中での第1期名人の座は木村義雄八段が就くこととなりました。

 

以上のようになっています。

実力制の初代名人を決めるに当って、前途多難な道のりがあったことがわかります。これだけ多くの出来事が起こるということは、それだけ実力性の初代名人を決めるというのが大きい出来事だったんだと実感できます。

また初代名人を決めるにあたり、様々な新聞社が色々な企画を立てて盛り上げていたこともわかります。ここから現在まで続く第1期の名人戦はこのような形で決まり、現在に繋がっていきます。

 

※参考文献

加藤一二三著『将棋名人血風録 奇人・変人・超人』

 

日本将棋連盟ホームページ「将棋の歴史」

www.shogi.or.jp

順位戦データベース「名人戦の部屋」

www.ne.jp

 

※続きの第2期、第3期の名人戦の記事はこちら。

oknsts1018.hatenablog.com

 

将棋界歴代永世棋聖

どうもstsです。

本日のテーマは「将棋」です。

先日、藤井聡太棋聖佐々木大地七段による第94期棋聖戦第4局が行われ、藤井棋聖が勝利。防衛を果たし4連覇達成となりました。これにより来期は通算5期目を懸けた防衛戦となり、永世棋聖資格獲得向けての戦いとなります。

永世棋聖とは棋聖のタイトルを通算5期以上獲得すると、引退後に名乗れる称号。引退後は普通「〇〇九段」のように段位で名乗るのが一般的ですが、このような永世称号があると、それだけでいかに凄い棋士だったかが、後世の人たちに一目でわかる大変名誉ある称号です。

ということで今回は将棋界における永世棋聖をまとめてみました。そしてさらにあと1期に迫った棋士、迫っている棋士もまとめてみました。

それではさっそくどうぞ!

 

 

【永世棋聖

大山康晴永世棋聖【十五世名人・永世十段永世王位永世王将】16期獲得

史上初の永世棋聖獲得者は「将棋界の巨人」大山康晴先生でした。大山先生は振り飛車を駆使し、一時代を築きあげました。

大山先生は当時あった4つのタイトルを独占していた時に棋聖戦が創設されます。すると第1期棋聖の座に就き、五冠独占と全冠独占を継続すると、以後7連覇。また50代に入ってからも7連覇(!)を果たし通算で16期獲得しました。

大山先生は1992年現役のまま69歳で亡くなります。引退はしていていなかったため、永世棋聖は没後に贈られました。

 

中原誠永世棋聖【十六世名人・永世十段永世王位名誉王座】 16期獲得

2人目は「自然流」の棋風で数多くの棋士の手本となった中原誠十六世名人です。中原先生は長らく続いた大山先生の時代を打ち破り、中原先生の時代を築きました。

中原先生は1968年度前期の棋聖戦で初タイトル獲得。前年度後期の棋聖戦で敗れたリベンジを果たし、20歳でタイトル獲得。当時の最年少記録を達成しました。中原先生はその後も幾度となく棋聖を獲得し通算16期獲得。永世棋聖二人目の資格者となりました。

中原先生は2008年、還暦を迎えたタイミングで他の永世称号と合わせて特例のまま現役で就位。翌2009年に自身の体調面もあり引退となりました。

 

米長邦雄永世棋聖 7期獲得

3人目は「泥沼流」や「さわやか流」といった棋風でファンから親しまれた米長邦雄永世棋聖。中原先生とは若手時代からのライバル関係として知られました。

米長先生は1973年度前期の棋聖戦にて初タイトルの棋聖を獲得。後期の棋聖戦では奪われますが、1980年度前期の棋聖戦で復位。以後5連覇を果たし、永世棋聖の資格者となりました。

米長先生はA級から降級後、フリークラスへ転出。その転出した年度から特例で現役のまま永世棋聖に就位。2003年に引退。2013年に69歳で亡くなりました。

 

羽生善治九段【永世棋聖永世竜王・十九世名人・永世王位名誉王座永世王将資格者】 16期獲得

4人目は現日本将棋連盟会長、羽生善治九段。中原時代後の平成将棋界の中心として引っ張り、様々な歴代1位の記録を保持する「将棋界のスーパースター」です。

羽生先生は1993年度前期の棋聖戦棋聖を奪取すると5連覇を達成。永世棋聖の資格を得た年度で史上初の七冠独占を果たしました。羽生先生は以降も棋聖のタイトルを幾度となく獲得。30代~40代に掛けては10連覇を達成。通算で16期獲得しました。

羽生先生は現在現役。名誉王座を除く永世称号は原則引退後となっているため、永世棋聖の称号は引退後に就位予定となっています。

 

佐藤康光九段【永世棋聖資格者】 6期獲得

日本将棋連盟会長。「緻密流」と呼ばれる深い読みファンを魅了する佐藤康光九段。若手時代から羽生先生とは研究会などでしのぎを削りました。

佐藤先生は2002年、王将を保持していた時に棋聖も奪取。その後は同性代の羽生先生や森内俊之先生、下の世代である渡辺明先生などの挑戦を跳ねのけ6連覇を果たし、永世棋聖の資格者となりました。

佐藤先生も現在現役。羽生先生と同じく永世棋聖の就位は原則引退後となっているため、引退後に就位予定です。

 

 

【あと1期に迫った、迫っている棋士

二上達也九段 4期獲得

まずは「北海の美剣士」二上達也九段。若手時代から注目の若手として大山先生と数多くタイトル戦で対戦し、また羽生先生の師匠としても有名です。

二上先生は1966年度前期の棋聖戦で初タイトル獲得。1980年度の後期の棋聖戦では48歳ながら米長先生を破り棋聖に復位。以後中原先生、加藤一二三先生を破り、永世棋聖まであと1期と迫りますが、翌年防衛に失敗。惜しくもあと1期獲得できませんでした。

二上先生は1990年に引退。引退後は長きに渡り日本将棋連盟会長を務め将棋界の普及・発展に貢献。2016年に84歳で亡くなりました。

 

谷川浩司十七世名人 4期獲得

2人目は「光速の寄せ」でファンを魅了する谷川浩司十七世名人。世代的には中原先生と羽生先生の中間にあたり、両先生とは幾多の名勝負を繰り広げました。

谷川先生は史上二人目の中学生棋士としてプロ入り。1991年度の後期の棋聖戦では自身初の棋聖を獲得。以後3連覇を獲得し、1999年には4期目の棋聖獲得となりました。翌年永世棋聖を懸けた防衛戦は羽生先生にフルセットの末惜しくも敗れました。

谷川浩司先生は現在現役。過去五番勝負への出場経験があるため二次予選からの永久シードは保持しています。あと1期獲得できるでしょうか。

 

 

藤井聡太棋聖(竜王・名人・王位・叡王棋王・王将) 4期獲得

3人目は「令和の天才」藤井聡太棋聖。史上最年少プロ棋士としてデビュー。令和に入った将棋界で活躍を続ける現在の将棋界の中心人物。

藤井先生は2020年、史上最年少タイトル挑戦記録を更新すると、そのまま棋聖を奪取。史上最年少タイトルホルダーとなります。そして今期も防衛を果たし、4連覇を達成。永世棋聖獲得まであと一つとしました。

藤井先生は来年が永世棋聖資格獲得に向けての防衛戦。もし永世棋聖獲得となれば名原先生の記録を抜き史上最年少の永世称号獲得者となります。

 

 

以上のようになっています。

棋聖戦といえば産経新聞主催で、タイトル戦史上初の五番勝負一日制というスピーディーさが売りのタイトル戦でした。また長らく1年間で前期と後期に2回かけて行われ、永世称号も最速2年半で獲得できるという、とにかく速さが代表的なタイトル戦でした。

現在は棋聖戦以外にも一日制のタイトルは増え、他のタイトルと同じように年1回の開催となりましたが、現在まで94期行われており、史上最多期数行われた偉大なタイトルです。

さて来期の棋聖戦藤井聡太棋聖の防衛となり、史上最年少の永世称号獲得者となるのか、はたまた来期の挑戦者がついに藤井棋聖の牙城を崩すのか。要注目です!